湿った空気を纏う廃屋とすら呼べぬ物影で、エニシアとティスの対照的な空気が混ざりあう。 グスはといえば、言いたいことを言い終えるやいなや、ティスから他の二人の居場所を聞き出すと、戻ったシエルと共にそれに倣った。ジャッジとチャーリーはフォーを連れて周囲の散策に出ているので、つまるところ彼等も暇潰しに出掛けて行ったということになる。 ティスは歩き疲れたのか、それともエニシアの何かが気掛かりなのか、特に理由も告げずにその場に留まっている。 エニシアは崩れた石壁に腰を下ろし、ぼんやりと虚空を仰いでいた。その横顔は無表情で居て、何処と無く怒っているようにも見える。 「やっほー」 と、不意に姿を表したパジャマ姿の無防備な少女に、エニシアのため息が飛んだ。 「君は?」 「僕はフール。どっちが選ばれた人?」 フーはその場に居た二人を見比べて呟く。ティスがすかさず指を持ち上げ、エニシアを指差した。 「この子よー」 「ふーん…」 「…何?」 「適任だね。間違いなく」 互いに興味が薄い視線がかち合ったと同時に、フールがそんなことを口走る。 「死神としての思想も、素質も兼ね備えてるんじゃない?」 怪訝そうなエニシアを無視して続けた彼女は、最後に欠伸混じりに呟いた。 「でも、色あいだけは残念だね」 「それはフルーレも同じだったんじゃない?」 「知らないよ、そんなの」 突然口を尖らせたと思えば、耳を塞いで駆けていくフールの後ろ姿を、呆気に取られたエニシアの瞳が追いかける。 「気にしないで〜?ああ言う子なのよ〜」 ティスがそうフォローすると、彼は諦めたように納得の意を示した。 それからややあって、空気が元の状態に戻った辺りで、エニシアがポツリと愚痴を溢す。 「それにしても…随分遠回りさせられたもんだな」 「遠回りー?」 エニシアはのんびりと首を傾げたティスを振り向かず、壁に向かって話を続けた。 「ジャッジのこと。そうならそうと最初から言えば良かったのに」 「最初からカードになれって言われてー、エニーはうんって言ったー?」 「さぁ。でも、あんなにイライラしなくて済んだだろうね」 「分かってないなー、エニーは〜」 とても怒った風には聞こえなかったが、ティスはぷうっと頬を膨らませて腕を組む。 「他人の心を制御するのがー、どれだけ大変かは…貴方だってー、良く知ってるでしょー?」 「そ…」 「制御するのが大変なのは他人ばかりではないでしょう」 透き通った声が、エニシアの回答を遮った。二人が振り向いた先には、淡いブルーを擬人化したような女が佇んでいる。彼女は徐に眼鏡を持ち上げると、語気を強めてこう続けた。 「自分自身もまた、その対象と成り得ることをお忘れなく」 「そうだったわねー」 「…誰?」 「ランスよー?」 「エニシア=レム」 二人の穏やかな空気をスッパリ斬り倒し、ランスはエニシアの前に立つ。 「私は節制を司りしカード。貴方にこれから起こることの説明をするよう仰せ使いました」 「それもいいけど、早くあの女と話をさせてよ」 「いいから黙ってお聞きなさい」 ランスは堅苦しい雰囲気に呆れ顔を浮かべるエニシアを睨み付け、更に声を低くした。 「貴方にはこれから、カードに成るための条件が突き付けられます。人間をカード化するために必要な項目は以下の2つ」 言いながら持ち上げられたランスの右手はピースを形作っている。彼女はそのうちの一つを折って、こう言った。 「一つ、対象者の同意を得ること」 「それなら話は早い。僕は同意なんてしないよ」 「二つ、現在登録されている全てのカードの同意を得ること」 右手を拳に直して言い終えると、ランスはまた眼鏡に手をかける。 「尚、カードからの同意を得られなかった場合には、その都度変則的なルールが適用されます」 「聞いてもくれないわけか」 「貴方が選択するべき時が今ではないと言うだけのことです」 「じゃあ何時?」 「正確な時刻は申し上げられませんが、今から数分後に開始される形式的な儀式にて、改めて問われるでしょう」 「儀式、ね…」 ため息に続いて呟かれた「面倒だな」と言う言葉は、あっさりとティスに無視された。 「儀式っていうかぁ〜、会議みたいなものだよねー」 「ジャッジメントや私から言わせれば裁判のようなものですが」 「どっちにしろ、ろくなことにはならなさそうだ」 盛大な嘲笑も、最早意味をなさない。諦めてそっぽを向いたエニシアに近寄り、頭を撫でるティスがかろうじて慰めとも取れる言葉を発した。 「エニーがごねなければー、直ぐに終わると思うわ〜」 「そう単純に行けば良いけどな」 皮肉なのか脅しなのか、苦笑混じりにそう言ったのは明るみから顔を覗かせるグスだ。その背後にはシエルの顔もある。 「時間です」 細く、しかし良く通る声で宣言したランスが、ティスとエニシアに移動を促した。 「頑張って下さいね…エニシアさん」 「君に応援される謂れはないよ」 すれ違い様、交わされた言葉に込められた温度差にまた苦笑して、グスはシエルを建物内に座らせる。 「終わるまで此処に居ろ。危ないから、外には出るなよ?」 「危ないって…グスさん…?」 「大丈夫さ。オレもエニシアも他の奴等も、死ぬわけ無いんだから。危ないのはお前だけ」 「え、でも…」 シエルの質問を聞かぬまま走り去ったグスの背中。シエルは言われるままに壁の内側で座り込む。 「一体何が始まるんだろう…」 呟いて見上げた先で輝く光は、今しがた外で見たものよりも明るく思えた。 シエルがそもそもの光源が変化していくことに気付かないのも無理はない。 何故ならその場所は、シエルが入ったその瞬間から、ランスによって制御され、隔離されていたのだから。 彼を含め、一般人の認識できぬ場所で、それは行われる。 エニシアにとって、カードにとって、要となる選択が… |