Act.18:[テンパランス]







   数日かけて向かった先は、「ノーブレス」と言う名の町だった場所。
 とある事件が切っ掛けで、その町に国直々の討伐命令が下されたのは、そう古くない昔の話。現在のノーブレスの状況は言わずもがな、崩れた瓦礫が森に飲み込まれかけた廃墟である。
 ベージュや白、グレーの石壁には緑の苔や蔦がまとわり付き、散らばった木材や硝子の破片などは、一瞥しただけでは元の形状が分からない。それなりの面積を有す敷地の中で多少の差はあるものの、どこもかしこも似かよった光景が広がるばかりだ。
 元々は建物だったであろう石板の合間、這いつくばる木の根を避けながら進んでいた一行が、開けた場所に出たのは到着から十数分後のこと。恐らく広場として使われていたのだろう。やたらと目立つ石像が、放射線状に敷き詰められた石畳の中央で空を指差していた。
 足下の装飾は所々はがれ、石像の一部も欠けてしまっていたが、その場所が最も過去のノーブレスに近い形状を保っているように思える。
「いらっしゃい」
 響いた声は、石像の裏側から。それぞれが振り向くと、視界の中央付近で赤と白が揺らめいた。
「アイシャ=ワールド…」
 エニシアがぽつりと呟く。それを聞き届けたのか、彼女は妖しく艶やかな笑みを強めて見せた。
 エニシア側の5人と、アイシャ側の三人が歩み寄る。その中でいち早く口を開いたのは、意外にもグスだった。
「悪いんだけど、本題を始める前にさ…こっちを見てくれないか?」
 そう言って一歩前に出るグスを見て、いつものように眉をしかめたチャーリーを制し、アイシャは軽く了承する。
「いいでしょう」
 まるで最初から分かっていたかのような反応に、各々が違う色の息を吐いた。
 ジャッジとティス、チャーリーがエニシアをかろうじて建物の形を成している場所へと追いやった所に、再びアイシャの声が響く。
「フール」
 呼ばれた彼女はふらふらとグスの前に足を進めると、その隣に佇むシエルを凝視した。
「彼がこのストレングスの後継者として相応しいかどうか、鑑定なさい」
「彼は君の後継者にはなり得ない」
 アイシャの命令から数秒後、フールはグスに向き直りキッパリと言い放つ。
「君とは性質が違い過ぎる。だけど他のカードなら、若しくは…」
「…それじゃあ意味がない」
 フールの言葉を遮って力なく呟いたグスに、アイシャの容赦無い言葉がかけられた。
「分かったでしょう?グス。誰でも良いと言う訳じゃ、ないのよ」
 舌打ちするようにそっぽを向き、肩でため息を表現するグスの横で、シエルの控えめな質問が漏れる。
「僕では役不足と言うことでしょうか?」
「いいえ。貴方がこのカードの適任者じゃないだけ」
「グスさんのように、力の使い方を理解しきれていないからですか?」
「それも違うわね」
 真剣な瞳に首を振り、アイシャはすっと人差し指を立てた。
「グスと貴方の徹底的な違いは、力を持っているか…いないかよ」
 シエルが口の中で言葉を繰り返すのを待って、アイシャは続ける。
「貴方には魔道と言う絶対的な力がある。それとは違って、グスには力を操る頭はあっても、グス本人に相手を攻撃する為の力はないの」
 アイシャのオッドアイを見据えていたシエルは、隣のグスを横目に捉え、またすぐに正面に戻した。
「貴方の力は大きすぎる。だからこそ、このカードには向かないのよ」
 静かに締め括られた話に躊躇いがちに頷いて、シエルは問う。
「僕に、何かできることはありませんか?」
 力強い声は、微かに震えていた。
「あなたの役に立ちたいんです」
 握られた拳に、突き刺すような眼差しに、込められた真剣を受けて、アイシャは微笑む。
「そうね。あると言えば、あるし…ないと言えば、無いわ」
 表情を緩ませるシエルの肩に両手を置き、その目を真っ直ぐに捉えたアイシャは、本心を口にした。
「あなたには早く、立派な魔道士になってもらいたいの。…そうすれば、この子も自由になれるかもしれない」
 視線を受けたグスの肩が揺れる。アイシャはそれを無視するように、シエルに問い掛けた。
「そして私も助かる…分かるわね?」
 シエルは言葉の全てに頷いて、悟ったような笑顔を浮かべる。アイシャは彼の理解に感謝して、そっと頭を撫でた。
「良い子ね。シエル…」
 まるで母親のような彼女の物言いに、シエルは確信する。自分が何故彼女に会いたかったのか、その本当の理由を。

「道を示してくれた女に、母を見たか…」
 そっと二人から離れたグスの呟きは、石壁の裏側で拾われた。
「身代わりにしようとした訳ー?」
 グスは声だけの非難に眉を歪め、壁の裏側に回ると不機嫌に言い放つ。
「そんなんじゃない。あいつも望んでいたのさ。カードになることを」
「君はカードになりたかった訳じゃないんだ?」
 ため息に返ってきたのはエニシアの質問だ。穴の空いた天井からは、疎らに日射しが差し込んで、明暗をくっきりと映し出している。
 グスはティスをちらりと見据えた後、エニシアに頷いた。
「あんたもそうなんだろう?」
「ならどうして?」
「あんたと同じような理由で」
「前の人が恋人だった、とか?」
「そんな色っぽい話じゃないさ。ただの上司だよ」
「グっちゃんの尊敬する、人生の師匠でもあった人でしょー?」
「あんたは黙っててくれないか」
 やはりと言うかなんと言うか、口を挟んだティスにため息を浴びせるグスの口元は、心なしか微笑んでいるようにも見える。諦めたのか、それとも気持ちを入れ換えたのか、彼の表情の変化にティスは微笑を強めた。
「兎に角、俺の計画は破綻したわけだ。だから…」
 ポケットに両手を仕舞い、エニシアの前に立ったグスは、不適な笑みを持って宣言する。
「あんたにも、カードになってもらうぞ」
「…そういうことか」
 自分のようにカードになることを不服に思う人間が、もう一人くらいいても良いじゃないか。グスの瞳にそんな色を見いだして、エニシアは小さく嘲笑した。



















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