まだ宵の口だと言うのに、その場所は不思議と静かだった。 長い坂道の下に見える城下町の灯火や、上空に浮かぶ星や月の光は幻のように闇に浮かぶ。出入り口に据えられた蝋燭の赤い輝きが、2人の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。 カナタは数分前から外側の壁に肘を付く形で固まってしまったエニシアを、後ろから眺めている。内側の壁に寄りかかり、腕を組み、黄金の城の向こうに見える夜空を背景にして。 「折角だ。他の奴等の話も聞いとくか?」 会話の見通しの悪さに負けて口を開いたカナタは、振り向きもしないエニシアの背中に微かな溜息を浴びせた。エニシアは相変わらずの様子で口にする。 「誰も彼も似たり寄ったりなんでしょ?」 「まぁ、あんたにとっちゃそうかもな」 両腕を頭の後ろに持って行きながら呆れたように返答するカナタに向けて、エニシアの小さな声が飛ぶ。 「…あの女は?」 「ん?アイシャのことか?」 「そう。何者なの?」 「アイシャもカードの一人だよ」 カナタは当たり前のようにそう言って、次に小さく肩を竦めた。 「でもな、アイシャは、特別なんだ」 「…だろうな」 「あんたにもそう見えるんだな」 「あたりまえだよ。だってアレが君達をあてがっているんじゃないか。僕みたいなのに」 「そうだな」 「おまけに一方的な手段で交信まで出来るらしいし?」 「ま、違いない」 大きく二、三度頷いて、カナタはゆくりとエニシアの横に付く。 「で。あんたはどう考えてるんだ?」 「何が?」 「アイシャがどうして、あの役目に付いているか」 「知らないよ。そんなの」 「知りたいんじゃないのか?」 「そうだね。だから聞いたんだよ」 「アイシャはあんたと同じ人間だった」 覇気の無いエニシアの声を追うように、カナタは答えを呟いた。 「そして同時に、特別な人間でもあった」 エニシアは遠い町並みからカナタへと視線を移す。 「カードを作った、男にとって…な」 そう言って、カナタはエニシアの訝しげな眼差しを受け入れた。エニシアは瞬きで言葉の間を埋めると、再び遠いどこかへと目線を逸らす。 「アイシャは、製作者の娘だよ」 カナタはエニシアの視線を追いかけるようにして言葉を発すると、彼とは別の、何処か遠くを眺め始めた。詰まった声を絞り出すかのように、エニシアは応える。 「成る程ね」 「だからなのか、若しくはアイシャ自身の意思なのかもしれない。とにかくあいつは製作者と同じに、俺達カードが悪用されないよう管理しているんだ」 「自らがカードになってまで?」 「そういうこと」 「占い強盗する意味は?」 「強盗か。あんたにはそう見えるんだ?」 「そうじゃないにしても、カードが悪用されるされないには関係がないように見えるんだけど?」 抑揚の無い声色が威圧を与えた。それでもカナタはそ知らぬ顔で黙秘を続ける。 「あいつの目的は何?」 「それは、自分で直接聞けよ」 睨み付ける様な眼差しで問い詰められたカナタは、片手を広げて困ったように微笑んだ。 「ここまで喋っといてそれ?」 「流石にそこまで話したら怒られちまうよ」 「さっきあのおじさんが話してくれなかったことを、今君は話したじゃないか」 「ああ。アイシャはきっと、怒らないさ。自分の身の上を話されたくらいじゃ」 「ならなんで」 「怒るのはジャッジの方」 エニシアの質問を遮って答えを示したカナタは、口を噤む彼を見て小さく肩を竦める。 「ま、カードのことがバレちまった今となっては、そんなこともないだろうけど」 カナタの台詞が終わると、エニシアからは言葉の代わりに息が漏れた。溜息とも吐息とも取れるそれを聞いて、カナタは思わず口にする。 「…怒ってるのか?」 「いや」 「じゃあ、何がご不満なんだ」 「別に。ただ…」 躊躇って、エニシアは眼を閉じた。まるで現実から眼を逸らすかのように。 「結局はほとんど変わりないんだってこと」 「何が?」 「君も、アイシャも、他のカードも」 「そうだろうな」 ぽつり、ぽつりと口にするエニシアの横顔を見据えながら、カナタはふっと微笑んだ。 「あんたが、死ねなくなった今も自分を人間扱いしているのと同じだ」 「そう。だから、僕は君達も、自分が人間と同じだと思っていると思ってた」 そう言って、エニシアは眼を開ける。 「だけど僕は心の何処かで、君たちは人間とは違う…別の何かかもしれないと思っていたのかもしれない」 遠く広がる闇を追いかけるように瞳を細め、彼は続けた。 「そうであって欲しいと思ったのかもしれない」 「…なんでまた」 「僕はずっと、人間ではない何かになりたかった」 強まった口調。エニシアは振り向き、真顔で呟く。 「だけどそれは叶わなかった」 「なあ、エニシア」 カナタも同じく瞳を細め、真剣な様子で目の前のエニシアに問いかけた。 「お前、人間じゃなくなれば死ななくてもいいと思ってるのか?」 「ああ」 「だけどお前にしてみれば、不老不死の自分も、俺達カードですら、人間であることに変わりはないと」 「そう」 「なるほどな」 「何?」 「いや、こっちの話」 曖昧にそう締めくくり、カナタは夜空に眼を泳がせる。エニシアは溜息で緊張を追い払うと、頬杖を付いて眉を顰めた。 「…ジャッジが遠回しに話を進める理由が僕にあるんだってことは、なんとなく理解したよ。だけどどうしても腑に落ちない」 諦めたような呟きは空に向けられる。 「ジャッジの目的は一体何なんだ?」 最後に放たれた質問に、カナタは一つ頷いた。 「俺に言えるのは一つだけ。今のあんたには、俺でさえ理由の全てを隠しておきたくなる。ジャッジも…多分ティスも、同じ心情だろうな」 「意味がわからない」 「だろうな。分からないように話しているんだから」 左掌を空に向けて、そのままその手をエニシアの肩に乗せる。 「エニシア。あんたの言い分は尤もだ。だけど、頼むからジャッジの云う通り…まずやるべきことを終わらせてくれないか?」 「…随分、拘るんだね」 カナタに無理矢理振り向かされたエニシアは、鼻で笑うとあからさまに眼を逸らした。 「わかってるよ。でも仕方ないだろ?」 低く言い分けて、彼は俯く。 「考えても考えても、分からないんだから…」 見つからない答えを探すかのように。 |