先程までオレンジ色に染まっていた部屋にも、いつしか影が落ちていた。
 青に染まりつつある自らの手の中で、同じく青を反射する一冊の本。それから顔を上げたティスは、ページに貼り付けられた写真と同じ顔を持つ人物に眼を向ける。
「確かに、わしはお主に嘘をついた」
 彼、ジャッジは目の前に佇む青い彼に嘲笑を浴びせた。それを受けたエニシアは、微かに声を荒げて彼に詰め寄る。
「死ねない身体だってこと?それともカードの化身だってこと自体嘘?」
「いいや」
「じゃあ何を…」
「落ち着けエニシア」
 エニシアの言葉を遮って、ジャッジは静かに立ち上がると、壁際に佇むティスに手を伸ばした。彼女は薄笑みを携えたまま、黙って本を差し出す。受け取ったジャッジは開かれたページに視線を落とし、口元の笑みを強めた。
「確かにわしも嘘を付いたが、この記録にも嘘がある。この国の管理機関は穴だらけだからのう」
「何言ってるの?意味が分からないよ」
「わしは確かに死刑宣告を受けた。この城の、裁判所でな」
 言いながら示されたページ。エニシアは正面からそれを眺める。本の中の少年は、心なしか哀愁を漂わせているようにも見えた。
「しかしそれは実行されなかったのじゃよ」
「どういうこと?」
「エニシア」
 名を呼ばれて視線を移したエニシアは、ジャッジがソファーに移動する様子を眼で追いかける。
「わしはお主に語ったな。今まで、わしが裁いた人々のことを」
「…聞いたけど、それが何?」
「あれは、嘘じゃ。ここを良く見てみるがよい」
 テーブルに投げ出された資料、再確認するように見下ろした写真の下に記された文字を読む。
 ”メビウス=ベルガモット/出身国:ディトップ/捕虜”…ディトップとは、ハイラントの戦争相手のこと。つまりジャッジは、敵国の捕虜としてこの国にやって来たと言うことになる。
「過去、わしは情報源としてこの国に連れてこられた。歳も歳じゃったしな。殺すのは躊躇われたのじゃろう。加えてわしの身分が特殊だったのもあるじゃろう、捕虜にも関わらず裁判にかけられたというわけじゃ」
 淡々と語られる過去を聞きながら、エニシアは思い出す。
「死刑宣告が下されたのは、判決から半年が経過した時じゃった。何せ、わしは何も喋らんかったからのう。判決通り死刑は決行される予定じゃった。そうなれば、同情を寄せていた民衆も納得せざるを得ん」
 出会った当初、ジャッジが話した昔話を。
「分かったじゃろう?エニシアよ。裁いたのはわしではない。わしは、裁かれた側の人間だったのじゃよ」
 短い沈黙。口を開きかけたエニシアより早く、ジャッジは再度言葉を紡いだ。
「裁いたのは他の誰でもない、アイシャじゃ。わしはあやつによって牢獄から助け出され、こうしてカードとなった」
 エニシアはその言葉で出しかけた疑問を解消し、次の質問を投げかける。
「じゃあ、カードになる前は…」
「お主が見たとおりじゃよ。わしもかつては人間じゃった」
「75年前に?」
「そうじゃ」
「へー。もう90近いおじいちゃん、ってことになるんだ?」
「そうなるのう」
「ふーん…良く契約したね、あの女と」
「あやつに会って、まだ生きる価値があるかもしれんと踏んだのじゃよ」
「…他の奴等も君と一緒なんだ?」
「そうじゃ」
 微かな風がカーテンを揺らす。本当の部屋の主は、今此処には居ない。
 エニシアは会話の間、微動だにせず佇んでいたティスを振り向いた。
「君も?」
「そうよー?」
「そっか」
 いつも通りの間の抜けた返答に頷く。続けて漏れる嘲笑に似た乾いた笑い声。
「そうなんだ」
 エニシアは鼻で笑うようにして呟くと、独り言の間俯けていた顔をジャッジへと向ける。
「ねえ、ジャッジ」
 向き合った顔は、お互い無表情だった。エニシアは数秒の間を置いて、気だるげな声で問いかける。
「…あんな嘘、つく必要があった?」
「あったのじゃよ」
 ジャッジはそう返答し、続けて首を横に振った。
「いいや、今もまだ残ったままじゃ」
「意味が分からない」
「エニシアよ」
 ジャッジの大きな瞳がエニシアを貫く。眼を逸らすこともままならず、吸い込まれるようにしてその眼差しを見つめ返したエニシアは、ジャッジの真っ直ぐな声を聞いた。
「わしを理解しようとする前に、然るべき相手がおるじゃろうて」
「…順番って、そういうこと?」
 微笑すら浮かべぬまま注がれ続ける視線からやっとのことで逃れたエニシアは、脳裏に過ぎった彼女の顔、続けて浮かんだ少女の顔を振り払うように頭を振る。
「これも、あの女の陰謀か…?」
「そう、思うか?」
 ゆっくりと呟かれた問いかけに顔を上げれば、そこには今までに見たこともないようなジャッジの表情があった。
 何処と無く悲しげなそれを見て、なんとなく瞳を細めたエニシアを、間延びした声が呼ぶ。
「エニー?」
 ぎこちなく振り向いた彼は、いつの間にかすぐ近くまで来ていた彼女の笑みで我に返った。
「ちょっと、外行かない?」
 返事も待たず、ティスはエニシアの腕を取る。エニシアもエニシアで、抵抗するでも拒否するでもなく、黙って彼女に引きずられて行った。
 室内に残ったジャッジも、何も言わぬまま2人を見送る。
 ティスは廊下に出ると左側に進み、城の一番端にある中途半端な螺旋階段を昇った。時折訪れる踊り場にある窓からは、微かに月明かりが漏れている。階段の途中に据えられた複数の蝋燭が、それとは対象的な光を放っていた。
「ここで待ってて〜?」
 天辺に上り詰めた途端、ティスはそう言い残して目の前の扉を開いた。薄暗い空間に、扉の閉まる音の余韻が残される。
 あまり広くないその場所で、ぼんやりと宙を見つめていた時間はそう長くないだろう。エニシアがティスの再登場に引かれて振り向くと、開いた扉の先に無数の星が浮かんでいるのが見えた。



















Act.13:[ハーミット]-2topAct.14:[プリエステス]-1