鉄の匂いに混じる風の香り。 乾いた空気に落ちた血液は、未だ深い赤を保ったまま。 全身から滴り落ちる水滴の色もまた、それと同じ色をしていた。 僕は知っている筈なのに。自分の中にも同じ色が流れているということを。 僕は知らないままで居た。自分の中に流れる血液の色を。 だって、僕は青いから。 「青い殺人鬼さん」 殺戮現場であるはずのそこに、似つかわぬ声が響いた瞬間。僕は迷わず剣を抜いた。 いつもであれば直ぐにでも手に伝わってくる感触が、その時に限って無に等しく。 振り向いた先で向き合った赤は、嫌と言うほど見てきた血液とはまた、違う色をしていた。 何度も何度も空を斬り、弾かれる切っ先に苛立ちを覚えることもなく、ただ無心に振り続けた剣が、瞬間的に僕の手を離れていった。 その時にきっと、僕は死をイメージしたのかもしれない。自分の中から溢れ出す赤を想像したかもしれない。 だけど、何時まで待ってもそれが訪れることはなかった。 「あなた、本当に強いのね」 瞳に突きつけられた剣がゆっくりと離れていくのを認識しながら、エニシアは女の声を聞いた。それは先ほどと変わらぬ調子で、風のように柔らかく響いていく。彼は、鞘に仕舞われた剣を見届けて、追いついた理解をそのまま口にした。 「…殺さないの?」 「そうね、今はまだ」 「ふーん、ここまでやっといて、どうして?」 膝を突いた地には、乾いてぐずぐずになった血液がこびりついている。それほど長いこと剣を交えておきながら、止めを刺さない理由とは一体何なのか。 「どうしてだと思う?」 「さぁ?っていうか、君。誰?」 「私?」 「他に誰が居るの?」 「一杯居たんじゃないの?」 「見れば分かるでしょ?」 「そうね」 茶化すように微笑んで、周囲に寝転ぶ無数の死体を見渡した彼女は、エニシアに掌を差し出した。 「私、フルーレ。宜しくね」 「…何を宜しくすればいいの?」 無邪気な自己紹介に眉を顰め、エニシアは一歩後ずさり。 「あなた、私に負けたわよね?」 「そうだけど」 「じゃあ、命令」 「そんなことされるくらいなら殺してくれた方がマシなんだけど」 「あら、つれないのね」 つん、と口を尖らせてエニシアとの間を詰めたフルーレは、彼の腕を引いてそっと顔を寄せた。そして、妖しく囁く。 「一緒にやりましょうよ」 「…何を?」 「人殺し」 その日から、2人は各地の獲物を狩って廻った。 獲物とは言っても明確な目標が居る訳ではなく、ただ目に付いた人々をそれとする、言わば通り魔のような。それでいて規模が村単位なのだから、噂は直ぐに広まっていった。元から通り名のように「青い殺人鬼」と呼ばれていたエニシアの存在は、旅人や通行人、戦争に向かう兵士までもを震えさせるまでになる。逆に相棒のフルーレの名は、不思議と誰に知られることもなかったわけだが。 エニシアは、彼女が何故人を殺したがるのかを知らなかった。 ただ、彼女も人を殺すことに喜びを覚えているということは自然と理解した。 エニシアにとっては、それだけで十分だったのだ。同じ趣向を持つ者と、行動を共にする。それだけで自分が理解された気になれたから。 だから、彼女について詮索することをしなかった。それはもしかしたら、彼女も自分と同じ筈だと高を括っていたからかもしれない。 それはあながち間違いでもなかったのだろう。しかし、やはり間違いだったのだ。 一体、どれくらいの時を一緒に過ごしただろう。 2人は、あるとき、とある村に立ち寄った。 そこでもやることは同じ。青い人影が赤く染まっていく様を、白い人影が追いかける。 エニシアは無感情に人を殺め続けていた。後を追う彼女もまた、それと同じ。 次々に倒れていく亡骸を踏みつけながら、響き渡る悲鳴を完全に無視して事を成す。 最期に2人を見つめた人々の眼差しに宿る恐怖と絶望の色は、どれも似たような色をしていただろう。 「何故」「どうして」「殺さないで」「やめてくれ」「助けて」「死にたくない」「死にたく、ない」 その全ての感情を浴びながら、それでもエニシアの瞳が揺らぐことは無かった。 それなのに。 「…死にたいの?」 その村の、最後の住人に斬りかかったエニシアは、自らの手に残る感触を確かめ、そして小さく小さく呟いた。 「そうよ」 そう返答したのは、エニシアの剣に貫かれ、自らの血液で赤く染まるフルーレだ。 彼女の腕の中では、震える幼子が息を押し殺している。そう、彼こそが、この村の最後の住人。 固まるエニシアを他所に、フルーレは子供を解放すると、必死に走り去るその背中が見えなくなるまで見送った。 叫び声が響く。言葉にならないその悲鳴は、暫くの間二人に流れる空気に馴染むようにして轟いていた。 何時しかそれも聞こえなくなり、辺りが静寂に包まれた時。 「どうして」 今まで何も言わなかったのに、と。そう続きそうな声色で問いかけるエニシアを振り向いて、フルーレは微笑む。 「貴方に殺して欲しかったの」 「なんで?」 「どのみち、もう長くはなかったから」 その言葉を聞いて、彼女から流れる血液の色を見て、エニシアは納得がいかないまま、それでも頷いた。 「…わかったよ」 そう言って、彼は剣を引き抜く片手間彼女を引き寄せる。身を任せたフルーレは、力ない声でエニシアの耳元に言葉を残した。 「だけど、貴方は生きてね…エニシア」 「…どうして?」 「分からない?」 妖しい問いかけに、エニシアの眉が歪む。 分かるわけがない。 自分は死にたいと望むのに、僕には生きていて欲しいと言う…その理由はなんだ? 「私の、最期のお願いよ」 「意味が、分からないよ…」 振り下ろした剣は、瞼を閉じかけたフルーレの胸元を綺麗に貫通した。 僕もそうだけど。 君は本当に勝手な人だな。 初めからそのつもりなら、どうしてあの時、負けてくれなかったんだ。 どうして、僕と一緒に旅をしたりなんか… 最初から最後まで、意味が分からないことばかりで。 だけど、もう 答えなんて、ないんだから。 もう聞く事すら出来ないのだから。 「疲れた…」 僕も所詮、人間なんだな 「もう、疲れたよ。フルーレ」 人間であることに 自らの青い瞳からはたはたと、落ちていく涙に気付きながら空を仰ぐ。 その先で見た色は、微笑んだまま腕の中で冷たくなっていく、フルーレの、見開かれた瞳そのものだった。 |