「こたつ」





 
 丸くて傷だらけの天板。隅っこに林檎のシールが貼ってある。
 赤ともピンクとも言えぬ生地に、控え目な白の和柄が入った蒲団。
 ヒーターは昔ながらで、器具に網を被せてあるだけ。それでもちゃんと暖かいけど、時々変な臭いがする。

 これが私の部屋にある、古いこたつの全てだ。

 狭い部屋の真ん中を陣取るそれは、冬の間は大活躍。
 勉強したり、漫画を読んだり、ごろごろしたり、飼い猫のミケと遊んだり。
 去年の夏、小6の時におばあちゃんが亡くなって。それからうちにきたのだから、本当はまだまだ短い付き合いだけど、まるで昔から部屋に置いてあるかのように感じる。
 おばあちゃんの家に遊びに行った時に、よく入っていたせいもあるだろう。
 おばあちゃんがお茶を啜る正面で、座布団を枕にごろんと横になるのだ。膝を曲げて、肩まで蒲団を被って。何でもない時間を過ごすのが幸せだった。
 暖かくて気持ちくて、ついうとうとしてしまった時には必ず、おばあちゃんに揺り起こされたっけ。
「こたつで寝てはいけないよ」
 とか言われて。
「だって気持ちがいいんだもん」
 なぁんて返して。また、うとうと目を閉じる。
 だけどそろそろ眠れそう、ってところで決まっておばあちゃんが起こしてくるのだから、きちんと眠れたことはないんだけど。

 因みにそれは今も変わらない。
 おばあちゃんの代わりにミケが起こしにくるからだ。
 あの子もおばあちゃんちの子だから、きっと真似してるんだろう。


 勉強の合間、ころりと転がった私は昔を思い出しながらついついうとうとしていたらしい。朧気な意識の中で、目の前にミケが座る気配を感じた。
 ミケは前足で私の鼻を小突いてくる。私は負けじと寝返りを打った。
 いつもはこんな攻防が数分続いて、結局私が負けるのだけど。
 今日はどうやら諦めてくれたみたい。
 ため息のようににゃーと鳴いて、自分のクッションに引っ込んでいった。
 私はここぞとばかりに足を曲げると、こたつの中に身を落ち着ける。

 ヒーターのぶーんって言う音と。
 なんとなく漂ってくるいつもの臭いと。
 勉強からの逃避と。
 外の寒さと。
 全てが私を睡眠に誘い込み、最後はその暖かさに意識を持っていかれた。

 こたつで眠るのはやっぱり気持ちがいい。
 どうしてこたつで寝ちゃダメなんて言うんだろう。
 おばあちゃんも、ミケも。
 一度こうして寝てみたら分かるのに。

 …分かっただろうに。


 そうして夢に落ちてから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
 意識が現実に戻るような感覚と共に、ふと足を捕まれた。
 またミケが起こしにきたのかと、寝惚けたまま足を引く。
 膝を曲げる、いや。曲がらない。
 それどころか足はぐいぐい引っ張られ、こたつの中に引き摺り込まれそうになっていた。
 流石に驚いて体を起こそうとするも既に遅く、私の体はすっぽりと、こたつの中に入ってしまう。

 ぐるぐると目が回る。
 あれ、これあれだ。
 夢だ。
 まだ私は眠っていて。
 夢を見ているだけなんだ。

 そんな結論に至った私は、また安心して眠りに落ちる。

 しかし何時しか暑くなって。暑くて暑くてこたつから抜け出そうにもうまくいかず。
 はっと気が付くと、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。

 私は服を着たまま風呂に浸かって…いや、良く良く見れば見覚えのある鍋の中に居たのだ。
 湯はまだ沸騰こそしていないものの、それなりの温度に達しているようである。暑かったのはこれのせいなのだ。
 慌てて出ようと体を捻る。しかし回った視線の先には、三体の鬼が居た。
 赤鬼と。赤鬼と。赤鬼と。大中小、それぞれに体格の違う、しかし同じように赤い鬼だ。
 夢か。まだ夢の中なのか。だけど夢でも食べられたくはない。私は勇気を振り絞り、厳つい顔の鬼達に話しかける事にした。
「あの、私のこと、食べる気ですか?」
「そうだ」
「我らは空腹だ。黙って喰われろ人の子よ」
「早く美味しく煮えてくれ」
 ご丁寧にも大中小、順番に答えを返してくれる。しかし内容は散々だ。
「なんとか逃がしてくれませんか?食べられたくないんです」
 涙ながらにそう言うと、鬼達は揃って顔を見合わせ、しかしまた直ぐにこちらを向く。そして。
「そうか。ならば割れ」
「食われたくなければ薪を割れ」
「我らの代わりに薪を割れ」
 と、鬼達は口を揃えて言った。
「分かった。やります。だからここから出してください」
 いい加減熱が身にしみる。急かす私を、一番大きな鬼が引っ張り出してくれた。でも多分、最初に私の足を掴んだのもこの手だろう。
 よろよろと地に降り立つと、今度は寒さが襲ってきた。鬼達が当たり前のように例のパンツ姿なものだから油断してた。
 気温差に震える私を他所に、鬼はついっと広野を示した。遠くに行くほど白んで見える景色の中、沢山の薪と三本の斧が目に入る。ついでに周りも見てみると、鍋の向こうには大きな火柱が見えた。
 あれに薪をくべるのか。
 私は瞬時に理解して、一番小さな鬼に引かれるまま斧の側までやってくる。
 中くらいの鬼に斧を持たされ、大きな鬼に薪を渡され、構えてみるが寒さで形にならなかった。
 元々芯まで暖まっている筈なのに、服が濡れているせいでどんどん冷えてくる。だけどこのままでは食べられてしまうのだから、そんなことは言ってられない。
「ごめんなさい。服を絞ってもいいですか?寒くて斧が振れません」
「そうか」
「人間は寒がりだからな」
「仕方がない。まずはあれで暖まるといい」
 大きな鬼に担がれて、鍋の向こうの火柱に近付くと、こたつの中にいるような暖かさに包まれた。
「ありがとう。暖かい」
「そうだろう」
「当然だ」
「薪が出来るまであれを使おう」
 誇らしげに胸を張る二人の鬼の脇で、中くらいの鬼が傍らに歩み行く。その先には何やらこんもりとした灰色の物体があり、良く良く見ると消しゴムのカスの山であることが分かった。
「なんであんなものが…」
「非常燃料」
「最近は疲れたらこれを燃して凌いでいる」
「しかし焼きすぎると変な臭いがするからな。あまりやりたくはない」
 鬼達は話ながらもバケツリレーの要領で消ゴムのカスを運び、火柱の中に放り込んで行く。炎の赤が強くなるにつれ、独特の匂いが辺りを満たした。
「あ」
 この匂い。
 時折炬燵から流れてくる変な匂いとおんなじだ。
 それにこの消ゴムのカス。最近新しくしたピンクのウサギの消しカスが混ざってる…。つまり、私が勉強しながら生産したやつだ。
「気付いたか」
「きちんと捨てんからこうして貯まるのだ。」
「近頃ピンクにしただろう。これはいかん。以前より臭さが増したぞ」
 私の間抜け顔を見て呆れた顔をする鬼達は、その後も私に構うことなく話を進めていく。
「しかし今回のテストもいまいちだった」
「794年」
「平安京。平城京と書いてペケを付けられていたのには笑った」
「数学の点数も悪すぎる」
「漫画ばっかり読んでいないできちんと勉強するべきだな」
「しかしあれは面白い」
「確かに」
「一理ある。あの鬼神が出てくるものはなかなかだ。しかし例の料理漫画は頂けない」
「何故だ。旨そうだろう」
「腹が減る」
「そうだ、そう言うことだ」
「ちょ、ちょっと…どうしてそんなことまで知ってるの?」
 堪えかねて割り込むと、三つの顔が一斉にこちらを向いた。思わず身を跳ねさせた私に、彼等は口を揃えて文句を続ける。
「何を今更」
「何故このような小娘が我等の持ち主に選ばれたのか…」
「あの人間の時は良かった」
「あの人間…って…」
 私が呟くと、鬼達は虚空を仰いだ。それと同時に、赤い炎を背景にして靄のような映像が映し出される。
 テレビで時折流れている、懐かしき昭和の風景的なそれを眺める鬼は、みんな懐かしそうに目を細めていた。
 若い女の人と、男の人と。その両親と、更にその両親と。見覚えのある居間での団欒が、時を刻むごとに変化していく。
「彼女が嫁いだ日から一緒だった」
「嬉しい日も」
「悲しい日も、楽しい日もな」
「貴様の母親が産まれた時も」
「彼女の連れが亡くなった時も」
「彼女が旅立つまで」
「我等はずっと見ていた」
「共に生きてきた」
 鬼達の言葉と共に流れた景色は。全て、炬燵から見たおばあちゃんの記憶だった。
 彼等の言う通り、どんな時でも炬燵の周りには人が集まっている。
 暖かくて、優しくて。
 もっと見ていたかったけれど、それはふとした瞬間に炎に飲み込まれてしまった。
 鬼達に視線を戻すと、じっとりとした眼差しが返される。
「なのにこの娘は…」
 呟かれ、盛大にため息までつかれてしまっては、自分の日頃の生活を見直してみるしか術はない。
「私…そんなに駄目ですか…?」
 涙ながらに苦笑を浮かべると、彼等はうんざりしたようにこう言った。
「怠惰の限りだ」
「一日中寝巻きで過ごす日の多いこと」
「家のことも手伝わず、かと言って自分のこともろくにしないではないか」
「怠け者め」
「挙げ句の果てに、彼女の忠告も聞かず眠りこけるとは頂けない」
「このままひもじい思いをするくらいなら、ひと思いに食ってやろうと思ってな」
 日々の醜態を指摘されて赤くなっていた顔が、最後の台詞で青へと変わる。
「ね…寝ません。もう寝ませんから!」
 慌てて叫ぶと、彼等は私を囲んで威圧的な顔を近付けてきた。
「それだけではない」
「え?」
「菓子をこぼすな。食べこぼすくらいなら我らに捧げよ」
「腹が減って力が出んのだ」
 切羽詰まった様子ではあるが、鬼が空腹で、しかもお菓子をねだるこの状況がおかしく思えて、私は思わず吹き出しそうになる。
「それはいいけど…あげるにはどうしたらいいんですか?それにあの鍋は?具がないのは何故?」
「何故?お前が鍋をしないからに決まっておろう」
「鍋を…?」
「鍋は愚か蜜柑も置かぬ」
「暖かい緑茶もだ」
 捲し立てられて、先の映像を思い出す。確かにおばあちゃんの家ではそれが当たり前だった。
「こたつの上にそうしたら、あなたたちに届くんですね?」
 納得して問い掛けると、鬼達は然も当然と言った様子で頷いていく。
「直ぐにやります。だからここから出して下さい」
 まだ渇ききらないどてらを絞りながら願う私の言葉に、一番大きな鬼が食い付いた。
「ほんとうか?」
「馬鹿、信じるな」
「そうだぞ。この娘が嘘つきだったらどうする」
「うそじゃない。必ずやるから」
 怪訝そうに私を見据える彼等の目が、それぞれ確認を取るようにして動く。そうして最後にこちらを向き、厳しい調子で命令した。
「そうまで言うのなら、まずはこれだ」
「薪を割れ」
「我らの代わりに、暖めてみせよ」
 火柱の横で渡された斧と薪。
 受け取った私は頷いて作業を始める。

 最初こそ疑問だった。
 どうして薪割り場と火柱が離れた場所にあるのか。
 でも作業をしているうちに理解する。
 こんなに近くで薪を割っていては、暑くて暑くて敵わないのだ。


 どれくらい薪を割っただろうか。

 何時しか意識がぼやけてきて、ふっと体が宙に浮く。


 気が付くと、炬燵の中。
 眠りについたままの、丸まった体勢で。

 夢現。

 寝ぼけ眼を擦りながら、むくりと体を起こす。
 散らかった炬燵の上には落書きだらけのノートと教科書。ウサギの消しゴム。食べこぼしたお菓子。
 顔をあげれば半端に開いたカーテン。隙間から注がれる日光のおかげで我に返る。
 服はすっかり乾いていたけれど、あの状態でどうやって脱いだのか。傍らに落ちていたどてらは、まだ少し湿っぽかった。

 私は服を着替えると、下に降りてみかんを探す。出来上がりつつある朝食を横目に上に上がり、見つけ出したみかんを三つ、炬燵に乗せた。
 ご飯を食べて、お茶を持って部屋に戻る。
 みかんは相変わらず。お茶も置いてみたけれど、特に変わったことは起こらなかった。
 だけど。
「今度友達呼んで、鍋パーティーでもしよう」
 不思議とそんな気になって独り言を口にする。その後に続いたのは小さなくしゃみだった。

 そうしてすっかり風邪を引き。
 三日も寝込む私を見て。

「だから言ったじゃろうに」

 ミケが笑ってそう言った。











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