この瞳の奥に、一体何が隠されているというのだろう。
 ただひたすらに深い紅の、眼差しに…。




『瞳』




「この瞳はね、400年も前から…ずっとこの姿のままらしいんだ」
 試験管を手に、白衣の男がそう説明する。細長いガラスの内側、透明に沈む赤い眼差しが微かに笑った様に見えた。
「こんなに美しいのに…このまま置いておくのは、惜しいだろう?」
 うっとりと試験管を眺めていた男が此方を振り向く。暗闇に包まれた片目が酷く疼いた。
「本当に、金は取らないんだろうな?」
「ああ。本当だ。僕はこの瞳が人体に植え付けられた所を見てみたい。それだけだよ」
 失った左目。その代わりとなる眼差しが、男が纏う白衣の白に映える。
 エリカと名乗ったこの男とは、半年前に知り合った。今の話からも窺える様に、彼はその瞳に相当入れ込んでいる様子だ。
「さて、適性検査も今日で全てお仕舞いだ。最後に確認しておくけど…」
 女のような男の掌が、俺の左目に添えられる。
「本当に、良いんだね?」
 何度も何度も確認されたこと。男の眼差しがこれが最後の忠告だと言うことを示していた。
「ああ。あんたの妄想の事なら、気にしていないよ」
「信じる信じないは、任せるけどね」
 いいや。信じていない訳ではない。本当は何度も何度も考え直したんだ。
「どうなっても、怨まないでくれよ?」
「気にするな。有り得ないよ」
 本当に、有り得ない事だろうか?
「瞳に人格があるなんて」
 思考とは別の所で、俺はそう言い切って居た。

 不思議に思うか?俺も不思議で仕方がない。
 何と言えば良いのだろう。本来なら2つある筈の道…その片方が意図的に封鎖されているような、そんな感覚だ。



 ゆらり、ゆらり。
 赤が揺れる。
 あの瞳に宿る色が。
 それと同じその色が。



「何だよ…これ…」


 俺の掌を、染め上げていた。

 慌てて辺りを見渡すと、今しがたまで自らが移植手術を受けていた筈の治療台に…男の姿が見付かる。それも俺の掌と全く同じ色をしていた。

 赤。赤。赤。赤。

 辺り一面が赤いんだ。

 驚いて居る筈の俺は、異常な事態に恐怖している筈の俺は、散らばった鏡の破片の中でうっすらと微笑んでいる。
 笑っているんだ。
 試験管の底で踞っていた、あの眼差しが。




 声にならない叫びを上げて、俺はその場を逃げ出した。あの男が、あの場所が、その後どうなったのかは知ることも出来ない。
 しかし不思議と、その後の俺には何の異変も無く。それでも何時か、また同じことが起きてしまうのではないかと怯えながら。




 三年の時が過ぎて。




 恐怖もやっと薄らいだその頃、とある村に立ち寄った俺は…三年越しに後悔することとなる。




 赤の宴。
 宵の空。
 降り注ぐは…
 狂喜の雨だ。




「どうして…」
 まただ…。何で…。
「もう、止めてくれよ!」
 真っ赤なんだよ!
「笑うなよ…何で笑ってんだよ!」
 酒場で出会った筈の、少女が。気付いた時には血塗れで、宿屋の自室に横たわっていた。
「何が…何が…」
 手に付いた赤を洗い流しながら、目の前の鏡に映る自分の眼差しに問いかける。
「何がそんなに楽しいんだ!」
 怒りに任せて砕いたそれが、破片となって降り注ぐ。
 同時に舞い落ちた一片の紙切れ。
 踊る文字が答えを示す。



 血液の衣を纏う彼女を。
 咄嗟に振り向いた俺の口元が、勝手に文字を音にした。



「エリカ…」











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