プログラムは完成した。後は外壁を組み上げるだけ。
 パーツは殆ど揃っている。立体的なパズルのようなものだ。
 似たような部品を片手に設計図を見る。
「…………ん」
「あ、そっか。これとこれな。ほいほい」
「……さん」
「そいで、ここがこーなって、ぴったんこと…」
「イオさん」
「っし、オッケー」
「イオさん!お客様ですよ」
 無理に出したような呼び声に、IO(イオ)はハッと我に返る。どれくらい呼び続けていたのだろう。目の前の基盤の山から振り返ると、困ったような顔がそこにあった。
「ああ、ごめんごめん。J(ジェー)さん」
 困るくらいなら肩でも叩いて振り向かせれば良さそうなものだが…如何せんIOがJと呼んだのは、長方形の箱形をした所謂TVと呼ばれていた物で、そもそも手など無いのである。画面一杯に映し出されている表情も、顔文字的記号そのものでヒトらしさは皆無だ。
 そんなJが溜め息を音声に直してIOを急かす。
「かれこれ5分はお待ちです。国家機密だとか、重要データ等は出しっぱなしになっていませんね?」
「今日は大丈夫…な筈」
「困ったお方だ。では、開けますよ?どうなっても知りませんからね」
 忠告に曖昧に答えると、呆れたような声と共に扉が開いた。横にスライドしたシルバーの向こうに立っていたのは、よく知った顔だ。
「あの、部品…」
「QA(キュア)か。待たせて悪かったよ、茶でも飲むかい?」
「うん…」
 特に怒るでもなく、重たそうな箱を抱えて入室したのは、IOの幼馴染みのQAである。
 同年代の女子の中でも比較的大人しい彼女は、ジャンクショップのオーナーの一人娘だ。部品には滅法詳しいが、機械を組み立てさせたら壊滅的…と言う可笑しな手腕を持つ。両耳の横にある巨大な癖毛のお団子が、最大の特徴だろうか。
 QAは部屋の中央にある勾玉型のテーブル(散らかりまくっている)に持ってきた箱をのせ。卵をくりぬいたような椅子にもふりと腰掛けた。
 IOがスイッチ一つで粗茶の準備から配膳までを任せた機械が蠢く間、彼女は手を膝の上に、そわそわと部屋を見渡している。
「あの、IOくん…」
「うん?」
 QAの目の前にカップが降りてきた。アームからそれを受け取りながら、彼女は未だ仕事場を離れない彼に問い掛ける。
「人が乗れる地上探査機とか、作れない…?」
「無茶言うなよぉ。失敗して地上においてけぼりなんて、真っ平ごめんだ」
 紺のツナギの袖を腰で結び、ライムグリーンのTシャツを着て、手には複数のドライバー、耳の上にはタッチペンが乗っている…そんな外見からしてただの作業員にしか思えないが、IOは国内でも指折りの発明家だ。飛行機だろうが探査機だろうが、一から開発するくらい朝飯前ではある。
 しかしそれは、地上が汚染されていなければの話。
 IOは自室兼ラボである部屋の、大きな窓を透明化する。無機質だった室内が、太陽光によって明るく照らし出され、コントラストが強まった。
 無造作に置かれた作りかけの機械や棚にデスク、コンピューターに空気清浄器、加えてJに落ちる影も色濃くなる。
 外は見事な晴天で、主軸となる太い幹から枝葉のごとく金属やコードが伸び、果実の如く吊るされた銀色の球体が、殺人的に光を反射していた。あの球体の一つ一つが、今彼等が居るような部屋…つまりは住居になっている。
 雲が浮かぶのはその下方。絨毯と呼べる程分厚くなる事もあるが、今日は海を泳ぐ魚のようだ。
 その更に下方。
 昔、人類が暮らしていた星の表面は、今や爛れて空気が汚れ、とても住めるような状態ではないと言う。
 IOも、QAも空で生まれた。彼等の曾祖父くらいまで遡れば、地上での生活を聞くことも出来るかもしれないが、生憎そこまで長生きしている知人は居ない。
 尤も、QAは母親を、IOに至っては両親共に亡くしている為、星の過去を省みる余裕など、元より無かった訳なのだが。
 窓に近より空を見下ろしていたIOが、数秒を経て作業に戻る。QAは彼の意識が固定される前にと、慌てて声をかけた。
「IOくん、今は何を作っているの…?」
 小さな声に答えは返らない。ムッとしたように身を縮めて、QAは続ける。
「この前チラッと見ちゃったんだけど…地上の探査機、だよね?」
 ピクリとIOの肩が揺れた。続けてJが溜め息を音にする。
「言わんこっちゃないですね…」
「全ては多忙のせいと言うことで…」
 耳からペンを拐い、その頭でこめかみを掻きながら、IOはQAに詰め寄った。
「一応ねえ、俺がやっていることは機密事項であり、バレて技術が盗まれちゃったら信用問題では済まなくなるわけで…だからな、あのー……」
「分かってるよ?誰にも言わない…」
 カップを両手で支えたまま、散らかった部屋の各所を横目に見据えたQAは、言葉が終わるのと同時にIOを見上げる。その大きな瞳を間近で見下ろしたIOは、深く長い溜め息を吐き出しながら額に手を当てた。
「言わないけど、見返りは欲しいんだよな?」
「分かるでしょ…?」
「嫌ってほど…」
 どう言うことか。
 QAはIOに断られると自分でなんとかしようとする傾向があり、つまりはそう、必然的にとんでも機械を生み出すことになる。そしてその被害を被るのはいつもIOであった。
 例えば制御不能の小型飛行船が暴走したり、例えばAIが無差別にウイルスを撒き散らしたり、例えば望遠カメラが町中で大爆発しそうになったり。……とても可愛いげがあるとは言えないものばかりだ。
「丁度、凄い金属板が入荷されて…」
「金属板…」
「放射能も、酸も、メタンも全部、地上にあるものは弾くとかで…」
「知ってるよ。開発したのは有害物質を無効化出来るバリアを生み出した、例の有名な研究チームだ。そのバリアが5分しか持たない残念な品物でなければ、そんな金属板も開発されなかっただろうに。お蔭で俺の仕事がまた増えた」
「それなら、造れるよね…?」
「暇と時間と気力さえあればね…完成は数年後かな」
 QA特有の掠れるような声に、棒読みに似たIOの声が答える。
 訪れたのは沈黙。落ち込んだようなQAの表情が、彼女が持つお茶の表面に映し出されていた。
 QAは作業に戻ったIOの背中を数秒眺め、次にカップを空にすると、無言で席を立つ。
「QA」
 半ば走り去るようにして退出した彼女の背中を、IOの声だけが追い掛けた。彼は肩で息をして直ぐ、元の状態に戻る。基盤と向き合ったIOに呆れた声をかけたのは、勿論Jだ。
「どうなさるのですか?」
「どーしよう…」
「IOさんは鈍いですね」
「鈍い?そんなこと言われたのは初めてだけど」
 ドライバーを取り出しながら、振り向く事なく。しかし訝しげに声色を変えたIOに対し、Jは画面の表情を変えた。呆れ返ったようなそれに気付かれることはなかったが、それでもJは説得を続ける。
「追い掛けた方が良いのでは?」
「そんな暇ないんだって…ほら、部品も待ちくたびれてる」
「しかし…」
「まあ、うん。飛行機作るよりは、QAの作った機械を止める方が…………ん、ああ。こっちが先だったな。納期何時だっけ…」
 話の途中で、IOは宙にディスプレイを呼び出した。こうなってはもう、どう声をかけようと彼の耳に言葉が入ることはないだろう。
「全く…困ったお方だ。それがどういうことかまるで分かっていない」
 QAの機械が暴走すると言うことは、それ即ち周囲に多大な迷惑が振り撒かれると言うことだ。QAの父親も彼女の性質に関してはとうに匙を投げているし、事前に止めるには常に見張っている他ない。しかしQAの父親は仮にも社長だ。IO程とは言わないが、そんな暇は何処にもないだろう。
 だからこそ、IOがQAの我が儘を聞き入れて、ささっと注文の品を作ってやることが唯一の防止手段なのだ。
 Jは何度も見てきた冗談のような茶番劇を思い返しては、ディスプレイ画面に波を起こす。ヒトのように胃痛や頭痛に悩まされないのが唯一の救いだろうか。
「…………それに。彼女はあなたに構って欲しいだけなのですよ…」
 電子音が独り言を紡ぐ。Jは再び溜め息を音に直して、静かにスリープモードに入った。


 IOの部屋から出たQAは、部屋に続く階段から巨木の枝に当たるダクトに出て、見晴らしの良いフリースペースまできた。そこは幾つもの枝枝の交流地点であり、周囲の壁一面がスケルトン仕様になっている為、普段から人通りが多い。
 しかし今は昼時。その場に佇むのは息を切らせたQAだけだった。
 彼女は呼吸を整え、透明な壁に溜め息を吹き付ける。外に広がる青と白が酷く眩しかった。
 QAは小さく背伸びして、雲の更に下方を覗きこもうとする。しかし見えるのは雲だけで、地上の様子までは見てとれない。
 そもそも、ヒトの目で地上を観察する事など不可能なのだ。分かりきったことの筈なのに、彼女は酷く落胆する。
 何時だったか、自作の小型飛行船が暴走したことがあった。ただ単に、風景を撮影する為だけに作った筈のそれが、あちらこちらに光と騒音を撒き散らして大騒ぎになったのだ。
 その騒動の最中、IOは両親の形見を地上に落としてしまった。自分のせいで、IOは大変な苦労を強いられ、大切なものを無くしたのである。
「本当は探しに行きたい筈なのに…」
 家族の名前が刻まれたドッグタグ。銀色に輝く三枚の札は、いつもIOの首に下げられていた。
 大切なものを無くしてしまったのに。仕事が沢山有りすぎて、探しにいくことすら叶わない。
「IOくんができないなら…」
 せめて私が。
 QAは掌を固く握り締め、慌ただしくその場から走り去る。



 今度こそ失敗しない。
 今度こそ成功させる。

 決意が形になったことなどないのに。
 QAは疑う事なく機械を組み上げる。
 子供のように澄んだ瞳で。


 そうして二週間後。
 QAの地上探索用の飛行ポッドは完成した。





 今日もまた発注が増えた。
 例のラボが景気よく金属板を売り込んでいるせいだろう。方々から地上探索機の開発依頼が飛んできて、既に何件かは納品待ち…要は最終調整の段階だ。
「………ん」
 しかし流石にヒトが乗り込むようなものは依頼が来ない。
「……ん!」
 それはそうだろう。人命をかけてまで地上の様子を探ろうと考える企業も研究施設もまずない。
 それだけリスクが高いのだ。無人探査機の方がコストも格段に安い。だけど……
「IOさん!」
 自らの名前がおかしな波長で響いた。驚いたIOは周囲を見渡し、数秒後に答えを見つける。
「何だ?今の警報」
「気付いて下さらないから私が鳴らしたものです」
 困ったように問えば、騒音の発信源であるJは淡々と解説した。
「またまた、緊急事態でもあるまいし…」
「その緊急事態なんです!」
 Jは焦れた様子でディスプレイを切り替える。映し出された映像に、IOの目が丸くなった。
「なんだって?」
 言うが早いか、Jに取り付いたIOは食い入るように画面を眺める。Jの流す映像は三種類。危険高度に達した飛行物用の観測機に付属されたカメラが、丸い物体を上から捉えたもの。恐らくその丸い物体の内部、斜め上からQAを映し出しているもの。それと、観測機を設置した警備からの現状報告がリアルタイムで流されていた。
 QAが乗っているであろう球状のポッドは、どうやら制御出来ずに落下しているらしい。上昇不可の文字と、赤いランプが機内で異常を知らせている。
 幸い完全に浮力が無くなった訳ではなく、ゆっくりと。しかし確実に地上に向かっていた。
 警備は下降するQAに応答を求めた際に、機械の異常を知らされたようだ。Jがこのことを知ったのも、警備経由、QAの父親ヅテらしい。
「重力計算を間違えたのか?いや、燃料トラブルかもしれない。そもそもの上昇機能がポンコツだった可能性も否定できないな…」
 様々な不安要素がIOの脳内を駆け巡る。彼はそれを瞬時に切断し、思考回路を切り替えた。
「とにかく、連れ戻さないと。Jさん、あのポッドの性能、QAのコンピューターに潜って拾ってきてくれないか?」
「あなたが振り向くまでの間に大方の調査は完了しています」
 Jは回答ながらにIOの端末に資料を送る。IOはその内容を軽く確認し、満足そうに微笑んだ。
「さすが、俺が造ったAI」
「全く、私に手足があれば自ら出向いていく所です」
「いつも悪いね」
「本気で仰ってますか?」
 垂れ下がったままだった作業着の袖を腰で結び、IOは訝しげなJの声に苦笑を返す。
「説教なら、後でたっぷり聞かせてもらうよ」
「しかと聞きましたよ。忘れたとは言わせませんからね」
 はぐらかすようなそれにしっかりと釘をさし、更には録音された言質までもを提示してから、Jは情報収集作業に戻った。
 IOはそれを見届けるより前に、自らも作業にかかる。
 完成間近の探査機から部品と装甲をはいで、別の形に組み替えていく。
 幸い、加工前の金属板は山のようにある。専用のプレス機に指示するだけで、外枠は直ぐに完成した。
 問題の中身も、最近の仕事のお陰でそう難しくない。QAの乗ったポッドが地上に到達する前に、出発出来るかもしれない。
「さて。QAのポッドの欠陥は此処だな?」
「ええ。エンジンがエンジンとして機能していないようです」
「酸素は?」
「暫くなら持つでしょう」
「うん、よし。分かった」
 IOは素早く組み上げた機械を手に立ち上がる。腕に端末と、例の特殊なバリアを出すリングを嵌めた。そして背中に機械を背負う。大きな機械羽根の付いたリュックのようなものだ。
「そんな軽装で向かうのですか?」
「ん?うん。だって、流石にエンジンを作ってる暇はないからさぁ」
「しかし…」
「大丈夫。あっちでささっと修理して、すぐに戻ってくるよ」
 軽く宣言して、IOは壁のスイッチを押す。部屋の窓がスライドし始めた。外の空気が室内に飛び込んでくる。幸いこの部屋には重い物しかない。殆どが元の場所で主の背中を見送った。
 Jは部屋の回路にアクセスして、開けっぱなしの窓を閉める。30秒後には風も収まり、室内は元の体を取り戻した。

 部屋から飛び降りたIOは、Jからの通信をワンタッチで繋げる。飛び降りてしまえば特にやることはない。重力に従って地上に向かうだけ。実に暇だ。
 進行方向に飛行物のが無いことだけを確認し、ワイヤレスイヤフォンマイクをオンにする。
「全く……あなたは軽率過ぎます」
「そうかもな」
 下からの風を受けているせいで、皮肉が上手く伝わらなかったらしい。Jは苛立たしげに声色を変えた。
「今回は特に…どうして危険だと分かっていながら、彼女を止めなかったのですか?」
「……悪かったって」
「彼女をストレス発散の道具としか見ていないのですか?」
「ストレスか。確かに、そうだったのかもな」
「彼女の気持ちを知っていて、利用していたと仰るのですか?」
「QAの気持ち……?あいつ、機械作るのそんなに苦痛だったのか…?」
 知らなかった、と呟くIOに、Jは暫し応答を忘れる。所謂絶句した状態だろうか。機械の自分にもそんな芸当が備わっていたのかと、彼は驚き半分で解答を構築した。
「……いえ、お気付きでないのでしたら、お忘れください。では、あなたはどんなお気持ちで、彼女に接していらっしゃるのでしょう」
 問いに対し、IOは短い間を持って答える。
「好きなんだよ。QAの作る機械」
 笑ったようなそれに、Jの相槌が続いた。IOは嬉しそうに言葉を繋げる。
「元気があってさ。俺も子供の頃は失敗なんか恐れず、大人がくだらないと嘆くようなものでも嬉々として作ったなぁなんて、思い出させてくれるような……」
 成る程、とJが言った。今のIOは企業からの受注を消化するばかりで、自分の造りたいものにまで手が回っていない。例え現状に不満がなくとも、焦がれることくらいはあるだろう。
 だからIOはQAの機械造りを止めようとしない。寧ろ促しているくらいなのだ。それに。
「あなたはQAさんの失敗くらい簡単にカバーできる。そう考えておいでですね?」
「勿論」
 即答に、Jは小さく呆れ返る。
「自信満々ですね」
「そうじゃきゃ困るだろう?」
 IOはそれでも当然のように言い放った。
「だって俺は天才発明家、IOだぞ?」

 落下は続く。浮遊感が凄い。流石に気分が悪くなってきた。
 しかしそうも言っていられない。あと数メートルで危険区域に突入するのだから。
 Jの現状報告を聞きながら、IOは腕のリングの電源を入れる。リングは彼の周囲に高性能バリアを張り巡らせた。
 制限時間は5分。
 背中の羽根から風を噴射、重力を調節、加速する。
 監視カメラの近くを通過したが、警備には報告済みだから問題ないだろう。
 Jによる位置計算と自分の端末を同期、方角を確定。
 風がバリアの表面を強く撫でていく。
 下方に浮かぶ目標を捕捉。あちらは地表まであと少し。急がなければ。
「IOさん。それ以上の加速は危険です。QAさんに地表に不時着するよう指示を出しましょう」
「最悪羽根は壊れてもいいよ。ああ、でも。念のためQAに指示はしておいてくれ」
 引き留めるJを無視して、IOは限界まで速度を上げる。
 音だけとなった風圧が、あっと言う間に近くなる地面が、自身の移動を実感させた。目測で距離を計算、減速しながらポッドの上部を捕らえる。
 一人乗りのポッドは小さい。何もなしに不安定な空中で取り付くのは難しそうだ。しかしバリアを解くわけにはいかない。
 だからと言って、バリア内部も安全ではないのだから困りものだ。空気の排出は出来ても補給は出来ないのだから。いい加減苦しくなってきた。
 羽根の角度を微調整、重力調整で着地を試みる。
 幸いハッチは天井にあった。頭を下にして、ジェットを噴射する。
 風に流されないよう祈りつつ、自身にかかる重力を強めた。
 まるで引き寄せられるように、ポッドが近付いてくる。衝突間近で数値を変更、浮力と噴射で安定させて、ハッチのノブを握った。
 ホッと一息。
 今まで風に煽られていたせいもあって、ポッドの落下が酷くゆっくりに感じる。地表到達まであと、10分程だろうか。
 IOはバリアの端をハッチの隙間辺りに固定して、大きくノック。
「QA!」
 大声で呼ぶと、あちら側からもバリアが伸びてきた。バリアとバリアはアメーバのように合体して、一時的にひとつになる。
 内側からロックが解除された。IOは直ぐにハッチを開ける。
「QA」
「IOくん…」
 伸びてきた手を取って、ポッドの中に滑り込む。羽根は畳んでリュックのサイズに合わせた。
 ハッチを閉めると、視界は緊急事態を告げるランプで赤く染まる。
 狭いシートに向かい合って座ると、QAの顔がよく見えた。
「大丈夫そうだな?」
 震えてはいるが、まだ泣いていない。IOが安心したように苦笑すると、QAは泣きそうな声で問い掛けた。
「怒ってる…?」
「ん?」
「また、こんな失敗作…」
「いや、QAが造るものは好きだよ。元気があって」
「それ…褒めてない…」
 目を反らし気味に否定すると、QAは小さく口を尖らせる。IOは肩を竦めて操作パネルと向き合った。
「今回はちょっと元気過ぎたな。俺も止めるべきだった」
 端末に設計図を呼び出して、エンジン部分を開いていく。小さなポッドだ。金属板を二つ外せば直ぐに見付かった。
「それにしても、なんだって地上を調べようとしたんだ?唐突に地上生活に憧れでもしたか?」
 ドライバーを取り出すついでに訊ねると、QAはふるふると首を振る。IOは眉を歪めて溜め息を付いた。
「なら…」
「IOくんが…」
 俯いたQAの口から細い声が落ちる。聞き取り難いからと耳を近付けたIOに、彼女は言った。
「IOくん、お父さんとお母さんの形見……地上に落としちゃったじゃない…?」
「それを探しに行こうと?」
 驚きと呆れの混じった声が響く。IOはQAの肯定を待って溜め息と共に吐き出した。
「馬鹿」
「なん…そんな言いぐさ…」
 QAの瞳に涙が滲む。IOは落ち着き払って小さく肩を竦めてみせた。
「だって、そうだろう?たかがペンダントだ」
「たかがじゃない。大事なものじゃない…大切な…」
 語気の強さが涙に奪われすぐに弱くなる。
「そうだな。大事なもの。地上で有害物質に去らされて、劣化して風化して醜くなろうと、大事なものに変わりはない」
 IOは淡々と口にした後、俯くQAの両肩に手を乗せた。
「だけど、QA。お前は違う。死んでしまったら、お前はお前ではなくなってしまうかもしれない」
 ゆっくりと、QAの顔が上がった。驚いて丸くなった瞳から涙がこぼれ落ちる。
 IOはQAの眼光に耐えられず、咄嗟に真横を向いた。
「死んだ後の事なんて誰にも分からない。その可能性も否定できないだろう?」
「IOくん…」
「ん?」
「回りくどい……」
 不服そうな声が間近で聞こえる。今度は溢れる圧力に負けて、IOはQAと向き直る。
「……気持ちは嬉しい、ってこと」
「それだけ?」
「………言わせるな」
「言わせたいの」
 照れ臭そうに目を泳がせるIOと、口を尖らせるQAと。二人の膠着状態を解いたのは、冷やかすような呟きだった。
「お熱いですね」
 ビクリと跳ねた二人に構わず、JはIOの端末を通じて更に続ける。
「水をさして申し訳ありません。しかし酸素残量、及び制限時間が無視できない状態になって参りましたので…」
「もう少し早く言ってくれ!」
 照れと焦りで声を荒げつつ、IOは素早く作業に取り掛かる。
 そうしてエンジンは無事修理され、地表に到達するより前に、浮上することに成功した。

 その時IOとQAが見た景色は、映像媒体でネット上に拡散される。


 崩れたビル。壊れた機械。光はなく。全てが色褪せた世界。
 昔の映像とはかけ離れた地上の姿。
 人々が築いた文明の残骸だけは、今もまだ、傷跡のように横たわっていた。
 唯一、輝きを失わない海の青の中で。


 ごめんなさい、すみません、申し訳ありません。
 警備に。納期が遅れた施設に。お国の偉い人達に。それからQAの父親に。
 謝罪の嵐を越えた先に待っていたのは、やはりと言うかなんと言うか仕事の山だった。
 IOは片付けても片付けても減らない受注案件欄に盛大な溜め息を浴びせる。
 皮肉なことに、地上からの生還は彼の能力を更に拡散させる結果となった。これで暫くは仕事に困らない。
「あなたが仕事に困った事などありましたでしょうか?」
 引き吊った笑顔に、頭の中を読んだようなJの言葉が浴びせられた。IOは全身の力を抜いてソファにダイブする。
「これは暫く寝れないなぁ…」
「少しは懲りて下さいましたか?」
 弱音に返された刺々しい言葉。IOはぼんやりとした眼差しでJを振り返る。
「私は今回の一件で、あなたが忙しくなると周りの迷惑を省みずQAさんを暴走させる悪い癖をお持ちだと言うことを、きちんと学習させて頂きましたが」
「随分な言われようだ」
「たまの息抜きのつもりなのでしょうがね」
 画面一杯に表示された怒りのマークに苦笑して、IOは困ったように頭を掻いた。
 Jはまるで反省していなさそうな主人の態度に、やはり困ったように苦言を呈す。
「度が過ぎると取り返しが付かなくなります。死亡であれ連行であれ、あなた達が居なくなっては私も淋しいのです」
 機械的な声に感情が混じる。IOは驚きを元気に変えて、ソファから身を起こした。そして。
「さすが、俺が造ったAIだ」
 満足気にJの頭をポンと撫で、上に向かって大きく伸びる。

 その後、QAの暴走はピタリと収まった。
 何故ならIOが、彼女を助手として迎え入れたからだ。

 それでもJの心労(?)は続く。

 二人が未だ発明家と助手の域を出ないのは、言うまでもないことだろう。














top