空は青い。 多少の雲はあるが、目を凝らせばうっすらと層が見える程度だ。その向こうには無数の星が輝いている。頭に置いたままのゴーグルを付ければ見ることも出来るのだが、今はこの爽やかな青さを眺めていたかった。 大きく息を吸い込んで、両腕から爪先までを目一杯伸ばす。吸い込んだ空気は埃っぽかったけれど、多少気分は清々した。 何処までも続く。果てしない荒野。 地平線の上に広がる青だけが癒しの全てであるかのように。 力を抜いて、肩を回す。疲れた音が幾度か鳴った。 「さて、行こうか。相棒」 ハンドルを撫で、そっと跨がる。この何もない大地を移動するのに、乗り物は欠かせない。 後輪付近にあるキックペダルを何度か踏み付ければ、エンジンがかかった。良い音だ。今日は調子がいいらしい。 手首を捻って走らせる。スピードに合わせ、右足のクラッチでギアを変えてやった。 スーパーカブ。ニンゲンが作ったものの中ではこれが一番好きだ。形もシンプルで分かりやすいし、何より燃費がいい。スピードが出過ぎないよう細工されているのもまた一興。焦る必要等何処にもない。のんびり行こうじゃないか。 頭のゴーグルを目元にずらして、目的地を探す。方角は間違っていない。あと、数十分と言ったところか。 流れていく景色には目立った変化もない。平らな大地に、崩れた岩盤が積み重なっている。目印と言えるのはその程度のものだ。 だからこそ、移動中の楽しみは専ら空の変化だけ。青空に飽きたら遠くの星を拡大して見るだけでも、結構な暇潰しになる。尤も、こうしてカブに乗っている時には危なくて出来たものではないが。 「見えてきたな」 望遠レンズの尺度を変える。そろそろ肉眼でもハッキリ見えそうだ。 ゴーグルを外す。瞳を細めて風の向こうを凝視した。 小さな小さな光の柱が、荒野の中に立っている。目的地はあそこだ。 腰に据え付けた鞄をぽんと叩き、少しばかりスピードを上げる。急いではいなくとも、待ち遠しくはあったから。 近付くにつれ眩しさが増した。地中から溢れる光は真っ白だ。浄化は正常に完了したらしい。 すぐ側にカブを止め、歩み寄る。丁度身の丈くらい。175cm弱の柱がもどかしそうに伸びていた。直径は30cmもないだろうか。 隣に腰を下ろし、バッグから試験管を取り出す。こちらも問題なく育ったようだ。 顔の前で幾度か揺らすと、青から緑に変色する。そうしてまた、緑から青へ。ぼやぼやと輝きながら、ゆっくりと。 コルク栓を外してやる。小さな煙が輪になって放出された。 一度。二度。三度。 吐き出されたそれを合図に、手を伸ばす。光の中に試験管を差し入れて、円の中央に中身を流し入れた。 トロリと、艶のある液体が球体となる。それは光の中に浮かびながら、ゆっくりと回転した。 そうして次第に大きくなる。ミニトマト大だったそれは、みるみるうちに掌大に成長した。 「良さそうだな」 薄れた光の内側を覗き込むと、球体の表面に起伏が出来る。ゴーグルを装着してもう一度。ツマミを調節、拡大だ。 何も無かった水の球体に大地が現れる。その上には植物が生え育ち、動物が生まれた。勿論、ニンゲンも。 何時しか町が出来、大地にヒトが根付く。動物を追い回して糧にしたり、植物を栽培し始めたり。そうして徐々に文明が築かれていくのだ。 「もう戦争なんかするなよ?」 呟いて、ゴーグルを持ち上げる。球体は相変わらず、ゆっくりと回転し続けていた。 試験管をバッグに戻し、カブにエンジンをかける。目立った異変がない事を今一度確認してから、次の場所へ。 次に来られるのは一ヶ月程後だろうか。それまで無事でいてくれればいいけれど。 セカイの寿命は短い。 それは勿論僕にとっての話だけども。 なんたってあちらの進みが早いのだ。目まぐるしく命が生まれ、死んで行く。 どのセカイも同じように。しかし、全く違う形で。 次に辿り着いたのは、丁度一月前に生まれたセカイがある場所だ。 ここに来るまで3日程。流石に空も見飽きている。 カブを止めてすぐ、ゴーグルに手をかけて。薄いヴェールのような、光の壁に顔を近付けた。 拡大して、各方面から観察する。地表には生け贄を捧げる祭壇や小さな畑、石や木製の住居が多く見られた。 「どうにも文明が発達しないな。このままでは皆餓え死にだ。しかしこれ以上手を加えると…」 顎に手を当て、短く唸る。そうしている間にも、作物を求めての惨殺や意味のない儀式は繰り返された。 呪術だろうと技術だろうと、どちらでも構わない。生きていく為の術を、生け贄や奪い合い以外の、別の方法を探しだしてくれたら良いのだが。 しかしその希望は何時まで経っても届かない。卵形のセカイの、綺麗な色が醜く歪んでいくのが分かった。 仕方なく、バッグに手をかける。スポイトと瓶を取り出して、光の中の卵に薬を一滴だけ、落とした。 セカイが変わる。色も、内容も。全てが。 新たな技術を与えたことで、作物が実る。全てが豊かになる。ヒトが増える。 しかし今まで生け贄を信じていた彼等のココロに、または文化に。その技術は偉大すぎた。 簡単にヒトを殺すのだ。私のためだと、みんなのためだと。 「相変わらず調整が難しい…」 あっと言う間に闇に染まったセカイ。技術が暴走して、全てが。 ぐしゃ 割れた卵から命が溢れる。落ちないように、掌で受け止めた。 「また初めから…」 卵が歪んで液状化する。次第に小さなスライムのような、何とも言えぬ黒い塊になった。 死んでしまった命、セカイを、空の試験管に戻す。 光を失った地面は、休むことなく闇を天に上らせていた。これが浄化。終わればまた、ここにセカイを生み出せる。 問題はこの試験管の中身だ。 バッグからスタンドを出して、試験管をセット。胸ポケットから小さなナイフを取り出し、指先に当てる。 切っ先で少しだけつつけば、紅い血が出た。それを何滴か、セカイの残骸に落とす。 黒が揺れた。血液がスライム状の物体に浸透し、鈍い色を取り戻す。 「良かった」 ほっと息を付き、試験管を手に立ち上がった。ナイフを片付け、右手を上着のポケットに突っ込む。指先に摘まんだクルミのような種を、無造作に放った。 荒れた大地に転がったそれは、直ぐに芽を出し、あっと言う間に小さな森を造り出す。 巨大な木と、それを取り囲むようにして茂る草木、花、泉なんかもあった。5分もあれば散歩し尽くせてしまう程の面積しかないが、この荒野には無いものが沢山採れる。 傍らの木から林檎を一つもいで、袖で拭った。艶々とした赤はかじると瑞々しく、甘酸っぱい。 巨木の根本まで進み、膝を付く。柔らかい土の中に先程の試験管を挿し込んで、一息付いた。 今日も空は青い。雲が不規則な模様となって、地平線の先に向かって滑っていく。 自分が林檎をかじる以外は、何の音もしない。風ですら控え目に過ぎ去って行くだけで。なんとも穏やかなものだ。 林檎の芯をその辺に投げて、ゆっくりと腰を上げる。ツナギの埃を叩きながら、近場の果物を調達した。 葡萄と檸檬と、桑の実とを。据え置きの釜の中へ放り込む。 バッグから出した薬品をスポイトで量り、適量追加。あとは数分待つだけで、カブの燃料の完成だ。 待っている間に空になった薬瓶に水と血液、魔法陣を書いた紙を詰め込んで蓋をする。それを試験管と同じように植え付けて、逆に幾つか試験管を抜き出した。どれも完成品だ。 全てをバッグに仕舞い、カブに燃料を詰め込んで、また次の場所へ。 その次に辿り着いたのは随分古いセカイがある場所だ。 ……いや、あった場所だ。 どうやらまた、戦争が起きたらしい。着いた時にはもう、光が闇に乗っ取られた後だった。 残骸が荒れ果てた地に落ちている。これでも昔はこの地にも、綺麗な芝生があったそうだ。 「平和とはこうも築き上げられぬものかね」 セカイの欠片を拾い上げる。真っ黒な塊は炭のように硬化して、今にも崩れてしまいそうだ。 「おかしな話だ。みんな、幸せを願っていると云うのに」 試験管に詰め込んで、血液を注ぐ。色が変わらない。もう駄目だろうか? もう一滴。ぶるりと残骸が震えて断末魔が飛び出した。 試験管の中から、呪いの言葉が天に昇る。長く生きた分、悲惨な最期だったのかもしれない。 一時間、いや、もっとだろうか。長いこと続いた呪詛の中から、聞き捨てならない一言を拾い上げて嘲笑する。 「平和が幸せとは限らない?何とも贅沢な話だな…」 独り言は誰にも届かない。 静かになった試験管の中身は、なんとか液状化したようだ。土の中で一週間ほど休めば、またセカイとして生き返るだろう。 そう。初めから。 何もないところから、やり直す事が出来るだろう。 その行く末に何が待っているかは誰にも分からない。分かりやしない。 だからきっと、幸せな時間を保つ個体だってある筈なんだ。 何時かは成功する筈なんだ。 何時までも何時までも。いがみ合いも戦争もないセカイが。 完成する筈なんだ。 何時かは、きっと。 夜になった。 空は黒い。その中に星が浮かんでいる。いくつもいくつも、数えるのが億劫に成るほどに。 僕は空から目の前の光に視線を移す。静かな宇宙の光景から一転して、人々の行き交う町の中が映し出された。 人々は、資源を求めて言い争っている。まだ互いに余裕はあるだろうに。なにをそんなにピリピリしているのだろう。他の方法を考えるなり、譲り合うなりしたらいいのに。 「ああ、ほら。欲張るから」 使ってはいけない物が地上に落ちた。逃げ惑う人々。そうして全てが狂っていく。そうして全てが。 ピキッ ヒビが入った。綺麗な硝子玉の表面に。中から命がこぼれ落ちる。 「また、初めから…」 僕は呟く。 呆れたように。 僕はすくう。 愛しそうに。 |