Act.5:[ハングットマン]







   それは、奇妙な二人組だった。

 国の中腹にある大きな泉の畔、微かに打ち寄せる波際を沿うように歩く一組の男女。
 それだけを聞けば、何の事はないカップルのように思うであろう。しかし二人は何処か可笑しい。視覚から入ってくる情報だけで、その関係性を見いだすのは困難だ。
 印象からして、恐らくカップルではない。かと言って、夫婦かと言えば、それも違う。友人、親子、知人…どれもが当てはまりそうにない。
 一番近い例を上げるとするならば、執事と女主人であろうか?しかしその例に当てはめるにしても、不可思議な部分が多すぎる。
 一つは、女の背格好。多く見積もっても20は行かないであろう外見年齢に、薄汚れたドレス。整っているとは言い難い真っ黒な長い髪。これだけでも、彼女を「主人」と断定することが出来ないのはお分かり頂けるであろう。
 そして二つ目…男の背格好。こちらこそが、彼等を不可思議と認識する主な理由となる。その男は、恐らく20代半ば程の年齢で、実にスマートでスタイリッシュな容姿をしていた。…彼の身に纏う、衣服を考慮しなければ。
 何処かの貴族を思わせる品のあるデザインのスーツ、そこまでは良い。問題なのはその色と付属品。彼は、黒い衣に真っ赤な「包帯」をぐるぐる巻きにした、奇妙キテレツな衣装を身に付けて居るのだ。
 遠目から見ても異色に見える上に、背丈や身のこなしから辛うじて男性だと判別出来るものの、その顔を見ることが叶わない。
 見えないとは、視力の限界的に不可能と言うわけではなく。長めの金髪がかかった顔の半分までもが、赤黒い包帯で覆われているせいだ。露出しているのは口元だけ。常に微笑む様に結ばれた綺麗な唇は、一見して女性のモノのようにも見える。
 怪我をした貴族、と言うには程遠く、貴族を装った変人と言うにも違和感が出る。彼にはそんな不思議な雰囲気がまとわりついていた。
 更に奇妙な点を補足するならば、彼と行動を共にする女の、何処と無く俯き気味の眼差しは、まるで人形のようだ。美しいと言う意味ではない。人の形だけを模したものの様に見える、そんな意味で。それが右往左往に泳ぐ様子を見ていると、こちらまで不安になってくる。
 そんな二人が歩く泉は、誰もが近寄りたくもない呪われた泉。噂や迷信からそう呼ばれる訳ではなく、泉の水そのものから来る名称だ。
 普通、泉と言われれば、透明の水が空や緑を反射して輝いている様を思い浮かべるだろう。しかしこの泉の水は透明ではない。それこそ、あの奇妙な男が纏う包帯のように、禍々しい赤なのだ。
 何故そうなったのかは詳しくは知らないが、恐らく戦争や何かが原因なのだろう。飲めばもれなく死の世界へ旅立てる猛毒の泉。それは、この辺りに住む者でなくとも周知の事実だ。
 一体、彼等は何者なのか。私は気になって、ついつい聞き耳を立ててしまった。
「さぁ。ご覧?この泉の水は猛毒だ。触れるだけで皮膚が爛れ、浸かれば跡形もなく溶けてしまうかもしれない程の劇薬だよ」
「そう、なんですか…。でも…」
「心配要らないさ。例え溶けなかったとしても、この泉を浚おうなんて輩は何処にも居やしない」
 不気味な森の中、ハキハキとした男の声と、弱々しい女の声が木霊する。一体全体何の話を…私は益々気になって、一歩前に踏み出ることにした。
「もしも…泉が干からびてしまったら?居合わせた人々を驚かせてしまわないでしょうか…」
「それなら問題はない。例え骨が残ろうとも、ココには君の他に何人もの人間が沈んでいるのだから」
「それなら、安心ですね」
 近付いた声。近付いた視界。両手を広げて熱弁する男の口元と、心の底から安心したような女の表情が良く見えた。
「さぁ。お行き。ココでお別れだ」
「…ですが…」
「まだ何か、心配かい?」
「私が身を投げる所を見てしまった方が居たら…やはり、不快を…」
「君は本当に優しいね」
 女の言葉に、微かに振り向いた男の横顔に、私の心臓が激しく軋む。
「今日は日が悪いようだ。また出直すとしよう」
 続く男の言葉に、私は深く安堵した。しかし良く良く考えれば、あの男には私が見えるわけがないのだ。そう、両目が塞がって居るのだから。
 遠ざかる二人の背中を木陰から眺めながら、私は彼等の会話を思い返す。
 自殺を図ろうとする女を、男が手助けする…恐らくはそういう事だろう。しかしそんな事が、現実に有り得るのだろうか?普通なら、自殺を止めるのが、男の役割なのではないか?少なくとも私ならそうする。
 何かのっぴきならない事情でもあるのだろうか。彼女が死ぬことで、彼が得をするとか、彼が彼女の苦悩する姿に耐えきれず…とか。…あとは何だろう。私の数少ない経験からは、これくらいのことしか想像が出来ない。
 ただ一つ分かったのは、彼等が「恋人」では無いと言うこと。自ら死のうとしている彼女を、一人だけ…しかも進んで死なせようとする男は居ないだろう。  そもそも、自殺を助ける事は、言い換えれば殺人になるのではないだろうか?と、言うことはあの男…。
「残念ながら、ボクは殺人狂ではないよ」
 突如背後から響いた声に、私は大きく飛び上がった。何故ならそれは、先程まで盗み聞きしていたものと全く同じ響きを持っていたのだから。
 恐る恐る振り向くと、瞳の見えない筈の顔と「目が合った」。可笑しな表現だと思うかもしれない。しかし、それ以外に表し様の無いほどに、私は男と向き合う事になったのだ。
 一体いつの間に?彼は確かに、私から離れて行った筈なのに。
「その疑問には答えかねる。しかし先の疑問には答えよう」
 私が何も言わぬうちに、男は話を展開する。
「君には、彼女が生きている様に見えるだろう。だけどね、違うんだ」
 薄い笑みの張り付いた口元が、柔らかい声で告げた。
「彼女はもう、死んでいるんだよ」
 驚き、身体を起こした私を嘲笑う様に、男はクスリと声を漏らす。
「正確には、死んでいるも同然と言った方が良いかな?」
 更に不可思議な事態に陥りかけた考察が救われた事にホッとして、私は思わず息を漏らした。同時に、泉の底から浮上して久々に呼吸したような感覚に陥る。
 男は私が落ち着くのを待って、変わらぬ調子でこう問いかけてきた。
「生きる目的を見いだせず、周りから疎まれ、それでもまだ生きなければならない意味は…何だい?」
 哲学的な事を問われ、しかし私は率直な答えを返す。尤も、それしか返すべき答えを持っていなかったのだから、考える必要などなかったのだが。
「生きることに、意味がある。私はそう思うよ」
 私の答えを聞いた男は、口元を更に歪ませて笑い始める。その不気味な響きは、幽霊や怪物に遭遇した時に勝る寒気を、私に植え付けた。
「君は正しいよ。それでいい。だけど、その言葉を浴びせて尚立ち直れない彼女は、もう死んでいるのと同じなんだ。分かるかい?」
「だから、殺すのか?」
 直ぐ様問うた私に。男はゆっくりと顔を寄せてくる。
「ボクは、君に忠告したくて」
 囁くようにそう言って、男は私を睨み付けた。実際に睨まれた訳では無いと言うことは、言わなくても分かるだろう。しかし、感覚としてはそれと同じ。怯んだ私に構うこと無く、男は言葉を繋いだ。
「これは忠告だ。彼女の行為を、行動を。止めたりしないでおくれよ?」
 それはつまり、彼女の自殺の邪魔をするなと…。それを聞いた途端、頭に血が上って行くのが分かった。しかし目の前の狂人は、優しげな声色でこう呟く。
「ボクはね、ずっと見ていたいんだ」
 まるで愛しいものを愛でるように。
「死んだ人間が、行き続ける様を…」
「何を…」
「忠告はしたよ?これを破れば、ボクは君を許せなくなると思うから。余計なことはしてくれないよう…くれぐれも、ヨロシクね」
 声を追いかけるように立ち上がった私は、彼の言葉の意味も理解できないまま、更なる不思議と直面することになる。
 男は、声が途切れると同時に…その場から姿を消したのだ。
 一瞬にして、物音も、気配すら、跡形もなく。
 辺りを見回しても、闇を帯びた木々がざわめくだけ。人影の一つも見当たりはしない。
 だからこそ、私は理解した。
 あの男の忠告を無視できない、という事を。

 人間とは…いや、私は無責任な生き物である。他人の命を消し去ろうとするあの男への憤りよりも、自分の命が消されてしまうかもしれない恐怖の方が…勝ってしまうのだから。


 物語の題材が欲しくて、森の中をさまよう私に。神様は意地悪をなさった。
 こんな話をしたところで、誰が信じるであろう。こんな言い訳を、誰が聞き入れてくれるであろう。
 こんな話を題材に、私に何を書けと言うのであろう。


 だから…私はココに記そう。
 未来の私が、彼の言葉を理解してくれることを祈って。



















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