Act.3:[ジャスティス]







   こんな噂を知っているだろうか?
 満月と共に現れる銀色の筋。神出鬼没のそれが去った後、街には微かな幸福が訪れる。まるで一人の不幸者を嘲笑うかのように…。


「居たぞ!奴だ!」
 夜の街を突き抜ける複数の叫び。それを背に浴びるのは銀の尻尾を靡かせる一人の男。
「今日こそ取っ捕まえてやる!観念してそこから降りてこい!」
「それは勘弁。と、いうことで…あなたには今日も煮え湯を飲んで頂くよ」
 屋根を見上げる男の手に握られた銀色の手錠。屋根からそれを見下ろすシルバーテールの細いシルエット。
 睨み合う二人にやっとのことで追い付いた十数人は、一様に茶の制服を身に纏い、その手には警棒と松明を掲げていた。
「今宵も良い月だね。警官諸君」
 シルバーテールの男は足元に置いた巨大な袋を担ぎ直し、背後に背負う月を見上げる。夜空に巨大な盆が浮かんだ様にも見える見事な2つの満月は、男の表情を隠すのを手伝うかの様に…ただ煌々と輝いていた。
「戯言はいい。貴様は完全に包囲…」
「されてないから大丈夫」
 警官の中でも一際感情的な男は、邪魔な帽子を払うことで持ち前の短い赤髪を露にする。
「な…!」
 陽気な笑い声が響くが早いか、背後の月に包まれる様にして…シルバーテールの男は実体を無くしつつあった。
「それでは、またお会いしましょう。レッドウルフさん」
「勝手な渾名を付けてくれるな!貴様と揃い名なんて真っ平ごめんだ!」
 去り際の台詞に激昂して、レッドウルフと呼ばれた警官の男は、民家の屋根を一目散によじ登る。しかし彼が辿り着いた頃には、ホシの姿は勿論…盗品までもが跡形も無く消え失せていた。

 怪盗シルバーウルフ。
 それが男の通り名だ。

「畜生…!」
 力任せに屋根を殴り付ける赤髪の警官に向けられる視線は冷たい。その屋根の持ち主も、逃走劇を見守っていた町人も、果ては彼の同僚すらも。
 何故か。それは2年もの間、彼がシルバーウルフを捕まえることが出来ずに居るからではない。
「これでこの街も、貧困から抜け出せる…」
「ありがたやありがたや…」
「領主様には気の毒ですが、金品が届いたら有り難く使わせてもらうことにしましょうぜ」
 そう、シルバーウルフとは。俗に言う…。
「何が義賊だ!どんな理由があろうと、泥棒は泥棒!そんなに奉仕したければ、自分の金でやれば良いだけの事だろう!」
 義賊。その言葉を聞き付けた赤髪の警官は、勢い任せに自分の部下を怒鳴り付ける。しかしそれを受けた部下達は、呆れた様に肩を竦めるだけだった。




 事件翌日の昼間。
 赤い屋根が続く街並みを、二人の男女が突き進む。首元を擽る金髪に青目、平凡な旅人の服を身に纏う男は、にわかに活気付いた街の様子に顔を綻ばせた。どうやら明け方近くに「盗品」の全てが街中にばら蒔かれた様だ。貧困に喘いでいた町人が久しぶりの昼食に心踊らせるのを横目に見据えた後、男は隣を歩く女に肩を竦める。
 女はそれに柔らかい笑顔だけを返し、街の賑わいから遠ざかるまで沈黙を保ち続けた。彼女の肩を覆う淡い空色の髪が、暖かい風に引かれて美しく流れる。
 それは注目を浴びても可笑しくはない光景…と言っても過言では無かったが、不思議な事に彼女を気に留める人間は殆ど居ない。それは今に始まった事ではなく、男がその女と出会った時から続いている事。まるでこの世に存在しないかのように薄いのは、彼女の持ち前の「やる気なさ」から来るのだろうか?
 男がそう考えていると、街の外れに足を踏み入れた女が気の抜ける様な声を出した。
「レッドウルフさん、まだ聞き込みを続けてるんですってね〜?」
「ご苦労なこったな。まぁ、どう足掻いても無駄足に終わるだろうが?」
「そうですね〜?でも、立派だと思いますよ〜?」
「あんたは随分、あいつの肩を持つんだな?」
「うん〜?だって、あれがあの人の「正義」でしょう?」
 あっけらかんと言ってのける女は、男の眉が微かに歪んだのを認識する。
「綺麗事だけでは、人々は救えない」
 そう呟いた彼の口調は、先程までとは全く違っていた。
「私にはそんな財力も能力も備わってはいないけれど…。罪を背負う、その覚悟だけで人々が救えるのなら。何だってやろうじゃないか」
 そう。これが彼の裏の顔。
「悪人の元には金が貯まるものさ。それを還元するこの行為が悪ならば…この世に正義など存在しないと、私は思うよ」
 噂の義賊、シルバーウルフ。彼は相棒の女の手を借りてその諸行を成し遂げる。何を隠そう、あの華麗な逃亡劇は、傍らに佇む彼女の不思議な力を持って行われているのだ。契約の元。必然的に。
「だからこそ、君はココに居る。そうだろう?ティス」
 男の妖しげな微笑みに、ティスと呼ばれた女はただ柔らかい笑みを返す。その真意を知らぬまま、それでもシルバーウルフは信じて疑わない。彼女の力も、己の信念も。


 そうして二人は、街を流れ行く。

 そうして二人はそれからも、幾度と無く「正義」に従った。


 しかしある時、転機が訪れる。それは徐々に、そしてしっかりと。二人の前に姿を現した。


「聞いたか?ティス。あのレッドウルフが金をかき集めて私を誘っているらしいぞ」
 とある街の入り口でシルバーウルフが微笑を漏らす。その噂はその手の人々の間では有名となっており、ティスの耳にも行き届いていた。
「そうなのー?彼、結構大胆なのね?」
 何時ものように笑顔で答えた彼女に、シルバーウルフの妖艶な囁きがもたらされる。
「折角の誘いだ。今夜、受けようと思う」
 ピタリ。それを聞いたティスの足が止まった。シルバーウルフはそれでも足を止めることはなく。
「それは本当に…あなたの正義?」
 背中に呟かれるティスの言葉に、当たり前のように返答した。
「何を今更。散々やって来たことじゃあないか」
「だけど、レッドウルフさんは…」
「確かにあいつは警察で、しかしその力を行使せずに金をかき集めたそうだが…」
 ティスの疑問の答えとなる一言を導き出す前置きは、二人の間に変化の兆候を。
「あいつは私の正義を邪魔しただろう?立派な悪党だよ」
 そしてその「答え」こそが、二人の間に変化を与えた。しかし異変は表面に表れることもなく、何時ものように。
「…そう」
 ティスは優しく微笑んだ。
「それじゃあ、行ってくる」
 だからこそ、何時ものように落ち合う事を前提に、シルバーウルフは別れを告げた。
「うんー」
 ティスは街並みに紛れ行くその背中にしっかりと届くように、はっきりとした囁きを返す。

「サヨウナラ」

 シルバーウルフはやはりその真意に気付かぬまま、その日の晩に事を起こした。
 目に鮮やかな金品財宝が夜空に散る様を、ひもじい思いをしていた人々が、一時でも笑顔を取り戻す様を、そして賛辞、賞賛、感謝を籠めて、自らの噂が広まっていく様を、想い描きながら。


「居たぞ!奴だ!」
 何時もと変わらぬ二つの月が、これ以上無いほどに丸く輝く夜の空。
「追え!逃がすな!」
 彼にとっては何時もと違う光景が、その場に広がっていた。
 迫り来る群生。自らに注がれ続ける罵声、罵倒、憎しみの声。
「どうして…」
 彼はただ、手を伸ばす。
「どうして…」
 背後に迫る、赤髪の男を振り向くこともせず。
「どうして…」
 レッドウルフと蔑んだ男が、何故これ程までに力を付けたのか…その理由も理解できないまま。
「どうして…!」
 輝く夜空。伸ばした掌を掴む者はない。
「どうして…なんだ!」
 義賊、シルバーウルフ。彼は、最後の最後までそう叫び続けた。

 全ての者が、自らを裏切ったとでも言わんばかりに。

















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