黒の中に点々と浮かぶ無数の光。 まるでその先にある何かを追い求めるかのように。 そこに置かれたその日から、「それ」は飽きもせずに空を眺めていた。 フォルムの丸い胴体に、上に向かうに連れて広がる筒状の部品が付いている。琥珀に似た深い金色は、精巧で繊細な飴細工のようにも見えた。 深い深い森の奥、誰に邪魔されることもなく存在し続ける静寂の中、その建物は確かに存在した。闇に包まれた光の塊は、皮肉にも空に浮かぶ星星を思い起こさせる。 その明るさの中に、息を潜める様にして暮らしている人物が一人。彼はまるで、はぐれてしまった仲間を探すかのように日々空を仰いでは、目を付けた光の動きを把握して、手元の模造紙に記録していく。 円柱状の建物の円形の壁に、4分の3ほど張り巡らされた本棚の途切れた部分、そこに置かれた細長いデスクに彼の姿はあった。彼の背後にはドーナッツ型の通路があり、その内側は更に窪んで幅広の段差が続いている。それを三段程下った先にある部屋の中心部こそが、この国では物珍しい「望遠鏡」の特等席だ。 彼の居住区であるその小さな建物は、深すぎるとも言える森の中に人知れず存在している、言わば秘密基地のような場所であった。全ての事情を知った上で見る人にはきっと、建物の基板となる大きな切り株の為に…そして琥珀色の望遠鏡の為に建てられた、一つの入れ物のようにも見えるだろう。 しかし事情を知る者が減少した今となっては、真意は勿論、建物が存在している意味ですら、曖昧になってしまったのかもしれないが。 つまるところこの建物は、星を観察する為に建てられたモノではない。 そこを守護する彼もまた、特別星に興味が有るわけではないのだ。 それでいて「天文台」と呼称されるその場所で、日々星の動向を追い続ける理由とは一体何なのか。 一見して矛盾だらけの行動のように思うかもしれないが、それだけで彼の目的は達成できてしまっているのだから、仕方が無いとも言えるだろう。 彼は唯、その場所を守り続けることに生を費やしている。その暇つぶしとして、天体観測をしているに過ぎないのだ。 何故天体観測なのか。それはそう、この狭い空間で長い間飽きもせずに過ごすには、それくらいしかやるべき事が見当たらないから。例えばそれを読書に置き換えると、途方も無い量の「書籍」が必要になる。当然、その書籍を収納するスペースも。 一生の間、本を読み続けなければならないとするならば、その場所は余りにも狭すぎた。他の研究・製作などにも同じことが言えるだろう。 天体観測ならば、「望遠鏡」と、少しの資料。そして、蓄積していく情報の収納場所さえあれば、何年も何年も、それこそ途方もない数の星を追い続けることが出来るのだから、これ以上の「暇つぶし」はきっと他にない。 カタン。 レンズ越しに星を眺めながらも遠く彼方に意識を飛ばしていた男は、その小さな物音で現実に帰還した。 然して驚くわけでもなく、ゆっくりと振り向く彼の眼に映るのは、いつもと変わらぬ光景だ。 「ありがとう。頂くとするよ」 小さな段差の上、控えめに置かれたティーカップから湯気が昇る。近いようで遠いその場所からは、確かにダージリンの香りが漂っていた。 カップを置いた人物は、既に定位置に戻って紅茶に息を吹きかけている。男は、その人物にアイコンタクトで礼を述べると、カップと交代でその場に腰を据えた。 静かな空間に、食器の立てる音だけが小さく小さく響いている。落とした白が渦を巻き、紅茶を淡いベージュに染め上げていく様を見つめながら、男は小声で呟いた。 「まだ、諦めてはいないのかい?」 それは部屋の隅で縮こまる小さな影に向けられた言葉。返答はいつもと同じタイミングで、いつもと同じ意味を持って返された。 「そうか。しかし何時まで待っても変わらないと思うぞ」 呆れているのか、溜息のように答えた男に向けられた相槌も相変わらずのもので。 「それも分かっていながら、待つというのか」 続く呟きにも首肯を返され、曖昧な笑顔を紅茶の上に浮かべた男は、心なしか嬉しそうにこう言った。 「君の使命とやらも、なかなかに残酷だな」 それに対して怒るでもなく、ただ当然のように頷いた人物は、今日も変わらぬ男の思考回路をのぞき見るように眼鏡を押し上げる。 「お互いに、分かっていながら変えられないとは…どんな因果かね」 こんなことをしていても意味が無いのかもしれないと、分かっていながら。 そうすることしか出来ぬまま、ここまでやってきてしまった自分自身をどう操縦していいかも判断し兼ねている。 それでも意思は変わらない。 いや、変えられないのだ。 そこに居る彼が意思を曲げずにここにとどまり続けるのと同じに。 ここに居続ける私は、飽きもせず星を眺め続けなければいけないのだ。 この、望遠鏡と一緒に。 |