GDGD企画「物書きさんに30のお題」



[26] 棘








 月明かりがない夜の事。
 朝方まで滞在した村から次の町まではそれなりの距離があり、しかし小さな村の中に目立ったツテも見つからず、リューは現在、森の中を一人徒歩で移動している最中である。
 その日は野宿確定だった為、早くに発ったにも関わらず、度重なるトラブルのせいで目標地点に辿り着く事が出来なかった。
 仕方なしに手頃な洞窟を探しあて、適当に小枝を広い集め、小さなポットで湯を沸かし、やっと落ち着いたのがつい先程のこと。
 既に春は訪れているものの、夜になるとまだ寒い。村の宿で分けてもらった茶葉を茶漉しに入れ、湯を注げばふわりと香ばしさが漂った。
 僅かな湯気を顔面に浴びながら抽出を待ち、頃合いを見てカップを手に取る。二、三度息を吹き掛けると白さで視界が滲んだ。
 そろそろと口を付ける。冷えた体に温もりが伝っていくのが良くわかった。
 ほうじ茶だな。
 そう思ったのは二口目。
 三口目には味にも温かさにも慣れて、別の所が目についた。
 そうしてなんとなしに視線を泳がせているうちに気付いてしまう。
「あ」
 薄闇の中に自分の声が落ちた。
 声自体は小さかった筈なのに妙に大きく聞こえて驚くと同時に、自分はこんな声だったのかと改めて思い直す。
 存分に思い直したリューは、声を出した原因である左手の人差し指に意識を集中させた。
 痛いと思ったら、こんなところに棘が刺さっていたのかと。頭の中で独り言を呟いて指の付け根を押す。
 小さな小さな棘は、それこそ焚き火の明かりでなんとか見える程度の存在で、言うほど痛みだってない筈なのに、不思議と気になって仕方がない。
 いや、不思議はないのだろうか。普通、体に棘が刺さってたら気になるものだと考え直し、彼は徐に鞄を漁った。
 何と無く持ってきたピンセットがこんなところで役に立つとは。とでも言わんばかりに顔の横でがしょがしょ構えてみる。それをそのまま棘に近付け、全神経を集中させた。
 格闘を始めて20分ほど。
 掴めそうで掴めない小さな棘に溜め息を浴びせながら、リューは自身の疲れを認識する。
「もう暗いから、また明日救出してあげることにするよ」
 掌にそう告げて、彼は浅い眠りに落ちた。

 普段であれば指に刺さった棘など簡単に取ってしまう事が出来るリューなのだが、その棘はどうにもこうにも頑固でしつこいらしく、発見から三日が過ぎても根強く人差し指の付け根に残っている。
 血管に達している訳ではないので、何時か心臓にたどり着いて殺される等と言った心配はないのだが、事あるごとに思い出してしまって商売に集中できない。
 下手をすることこそ無かったものの、何と無く勘が鈍るとでも言えば良いか。些細なもやもやがいくつもいくつも、後から付いてくるような気がしてならないのだ。

 じわりじわりと、広がっていく感覚は止まることがなく。
 ついにはその日も寝床まで持ってきてしまった。

 リューは安宿の一室で帳簿の整理を放置して、気の向くままに小さな窓を開く。
 辿り着いた町はそれなりに大きく、二階から見える町並みが何処か懐かしく思えた。
 外の景色を見据えたまま椅子を引くと、連鎖反応でベットの隅からハーモニカと書きかけの楽譜が落ちる。
 気晴らしにと作り始めた曲も、歌詞も、全ては中途半端なまま。
 リューはピシッと引いた五線譜の上に、あまり音符が乗っていない事実を確認しながら、逆の手でハーモニカを拾い上げた。
 その時チクリと感じたのは、刺さったままの棘の感触。
 無意識に見据えた掌は外の闇に染まって見える。ピンセットを探して室内を見渡していると、自然と一点に目がいった。

「そっか、おれ…」

 楽しんでいるつもりでいた。いや、実際に楽しんでいるのかもしれない。
 だけど、やっぱりウインドベルに居た頃とは違うから。

 手帳に挟んである写真を遠目に眺め、無表情の中に感情を滲ませる。
 立ち上がり、歩を進め、写真を綺麗に手帳に挟み直し、傍らのピンセットを持ち上げた。
 リューはそのまま元の位置、窓の前まで来ると、後ろ向きに椅子に座って指元の棘と向き直る。
 しぶといそれは最早黒子のように居着いていたけれど、いつまでもこのままで良しとはしておけまい。
「そろそろ欲しいなぁ…」
 独り言は単調に、更には中途半端に終了した。その先は呟かれることもなく、彼の意識は一点に集中される。
 数分粘ったがどうにもならず、諦めかけてふっと力を抜いた瞬間。飽きたのかなんなのか、棘はすんなりと指から放れてった。
 ピンセットにつままれた棘を凝視していたリューの独り言は、一足飛びに冗談へと切り替わる。
「何処かに安く売ってないかな?」
 呟いて、短く鳴らしたハーモニカは、頷くようにして音を響かせた。














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製作:ぁさぎ
HP:ねこの缶づめ