GDGD企画「物書きさんに30のお題」



[25] 濁声







「ふざけんじゃねぇです」
 狭くも広い宿の一室に、ソフィアの悲鳴…にも似た怒号が響いた。
 開いた口が塞がらないと言った風の彼女の隣で、同じように口を開いていたスカイアが朗らかに言う。
「チャーリーがこんな渋い声だったとは、驚きだな」
「てやんでいべらぼうめぃ!何かの間違いだってんです!ヒース!どうなってやがりますか!きちんと説明しやがりませー」
 激高するソフィアに胸ぐらを掴まれ、ぶんぶんと頭をシェイクされるヒースを見上げるチャーリーは、その間も仕切りに声を発していた。
 そう。スカイアの言う通り、「ひでぇ姉ちゃんだ」だの「そんなに振ったら頭からスイカみてえな音がしてくるぞ?」だのと、酷いダミ声で話すのである。
「でも、なんかおかしいっすよ?」
「チャーリーの言動が合っていないね」
 ユーヒとリューの指摘に違わず、チャーリーはおっさん声を発しながらもヒースの足下でおろおろしていた。その仕草はさながらヒースの心境がそのまま形になったように見える。
 数秒後、やっとのことでソフィアの猛攻から解放されたヒースは、目を回してふらふらと床にへたりこんだ。それに伴い、チャーリーもぐるぐると走っては小さな円を描く。
「あーあー。頭がスイカになっちまった。ねぇちゃんのせいだぞ?どうすんだい」
「こんくらいで頭がスイカになるようじゃ、スイカ農家も商売上がったりだってんです」
 言いながらヒースの顔を覗き込み、口を尖らせるソフィアの隣にリューも屈み込んだ。その瞳は無表情にチャーリーを見据えている。
 七人が頭の中で会議を行う間中、スイカの話で持ちきりな彼の言動はやはり一致しない。そもそもチャーリーはぬいぐるみなのだから、話すわけがないのである。
「ヒース、心当たりは?」
 リューに問われ、ヒースは考えながらも見当が付かずに首を振った。そのついでにチャーリーを抱え上げるも、いつもと何ら変わりない。
「どうしちゃったの?チャーリー…」
 独り言のように呟いたヒースに視線が集まる。理由は分かっていながら注目されて慌てる彼の口からは、いつもと違うおっさん声が漏れていた。
 ソフィアがヒースを呆然と眺め、スカイアが腕を組み、リューが小首を傾げ、クロバがキョロキョロし、クラウスが仕事の手を止める。
 混乱する面々を他所に、変わり果てた声で言葉になりきらない単語を発するヒースの背後に回ったユーヒが、彼の長いマントを上からぐいっと引き下げた。
「見付けたッス!」
 目を見開いて宣言したユーヒの示す先をみんなが覗き込む。悪態を付きながらもマントの裏から出て来たのは、親指の爪くらいの大きさの虫だった。
 まるでおっさんの腹巻きのように茶色く、波形の楕円体から触覚を生やしたような。いや、良く良く見ると亀の甲羅を着込んだ触覚のある人間のようでもある。
「珍しいね。ゴホン虫だ」
 最後に顔を覗かせたクラウスの声を全員が見上げた。彼は驚く事もなくサングラスをずらすと、説明を求める複数の眼差しに回答する。
「取り付かれるとさっきの虫の声と同じように」
 ぴょいっと、クラウスの後ろで何かが跳ねた。
「酷い濁声になってしまうんだよ」
 締め括りを濁声で口にしたクラウスは、顔をしかめた面々に肩を竦めて見せる。
「フヘヘ、解説ご苦労ー!」
「コラァ!待つっす!」
 クラウスの首もとから飛び出した虫を指し示し、ユーヒがすくっと立ち上がった。
 その威勢は結構だし、殆どのメンバーが同じ思いで居たのだが、如何せん室内…しかも宿屋の一室となるとそう暴れるわけにもいかない。
 ノミみたいに跳ね回る虫を最小限の動きで追いかける。しかしサイズがサイズだけに、ついでに余り広くない室内に七人も居ては虫の有利に変わりはなく。
「ばっきゃろー!テメエ等なんぞに捕まるほど、おちぶれちゃぁいねえってんだ!」
 そう挑発してはぴょこぴょこと、キャビネットの上で跳ねる虫にユーヒが飛び付いた。しかし寸での所で取り逃がし、上半身を台に預ける形で虫を見下ろす。
 クロバが扉を、スカイアが窓をディフェンスしている為か、外へと逃げる気配はないものの、部屋中を跳ね回られては落ち着くものも落ち着かない。
「いい加減にしやがりませこのくそ虫!」
 虫の素早さに目が追い付かなくなったソフィアの癇癪が巻き起こる。それでも虫はケタケタ笑うだけで悪さを止めるつもりはなさそうだ。
 リューが放った小さな風もベッドの後ろに隠れてやり過ごし、スカイアの大きな手からも逃れた虫は、床に降りることなく高く舞い上がり。
「でぇえい!まどろっこし…ってなん…」
 部屋の角隅で叫ぶソフィアに取り付いた。
「ふざけんじゃねぇです!どこにいやがりますかぁ…ぅむぐっ…!」
 文句を言いたいのは山々だったのだが、余りの濁声に負けて口をつぐんだ彼女の背中にチャーリーが回り込む。長めのカーディガンの裾を掴んで叩けば直ぐに虫が飛び出した。
「狙いは首の後ろのようです!お気を付けください」
 クロバの注意喚起に全員が首元を押さえる。その様子を笑う虫の濁声が酷く耳障りに響いた。
 そんな中、リューがスッと構えを緩める。
「因みに何が目的なの?単なる悪戯なら割引しないよ?」
 無表情に棒読みな問いかけは、先とは確かに空気が違っていた。ついでに先まで動き回っていた面々も静止している。
 それに気付かず、虫は相変わらずの調子で答えた。
「単なる悪戯に決まってんだろ?」
「だって。みんな」
 そう言うが早いか、リューから風が巻き起こる。カーテンや衣服、それぞれの髪を巻き上げたそれは、当然虫の体も巻き上げた。
 それでも上手いこと風に乗って着地しようとする虫に、背の高いスカイアの手が伸びる。それを避けた先でチャーリーの腕に、更に向こうでクロバの手に妨害されながらもキャビネットの上に着地した虫は、まるでふんぞり返るように鼻を鳴らした。
「へん、どんなもん…」
「長くなれー」
 トスン、ぷちっ。部屋を縦断した長い棒が可愛らしい音を呼ぶ。
「悪態を付くからそうなるのさ」
 様子を見に集まった面々のうち、クラウスがやんわりと声を出した。
 虫は潰れこそしなかったものの、先程のような威勢はなくぐったりとしている。
「ったく、お騒がせにも程があるってんです」
「まあまあ、そう言わないで。ゴホン虫は風邪菌を餌に生きている妖精なんだそうだよ」
 掌の上に虫を救出しながら宥めるクラウスに、くるりと注目が集まった。
「…え?」
「早く言いやがれってんです!」
「うっかり忘れてたんだ」
 ヒースの疑問符を消し飛ばす勢いのソフィアのツッコミに、クラウスは今思い出したんだよと言い分ける。
「でも大丈夫。これくらいで死ぬような生体ではなさそうだ」
 倒れた椅子を起こし、それに腰掛けた彼はテーブルの上に虫を乗せた。
 他のメンバーはそれを囲んで口々に言う。
「うへえ…これが妖精っすか?」
「よ…妖精にも色々居るんだね…」
「こんなキモイのが妖精だなんて認めたくはねえですが…風邪菌を食ってくれるってのは…」
「これに懲りて少しは大人しくなるのではないでしょうか?」
「ぬいぐるみに取り付いて構って貰おうなんて悪戯癖があるくらいだよ?そう簡単に直りはしないよ。多分」
「そう思うなら、リュー。今は丁度風邪の流行期だし」
 スカイアの含みのある言葉に、6人の目が一斉に瞬いた。
「…え?」
「これ、飼うんすか?!」
「はん。悪戯した分、キッチリ働かして風邪から守ってもらうってんです」
「はい、私も賛成です♪」
「いいんじゃないかな。風邪は引かないに越したことはないからね」
 それぞれの反応にふんふんと頷いて、注目を浴びたリューは淡々と口にする。
「また悪戯するようなら質屋に売ろう」
 脅しのようなそれに、虫の体がピクリと反応した。

 次の日から暫くの間、一行の風邪予防に一役買うことになったその虫は、悪態こそ変わらなかったものの、悪戯をするようなことはなかったそうだ。

 風邪のシーズンが終わる頃には、寂しさも少しは癒えるだろう。














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製作:ぁさぎ
HP:ねこの缶づめ