GDGD企画「物書きさんに30のお題」



[23] 夕暮れ







 世界の色が変わりゆく。
「あの上」
「あれか?」
「そのもう一個上だってんです」
「それは流石に届かん、その先は自分で上ってくれ」
 単調に続く少女と青年のやりとりは、小高い丘の上にある大きな木の下で行われていた。
 青年、スカイアの言葉に不服そうにするのは、彼の肩に座る少女、ソフィアである。
 彼女は上を示していた指をくるりと方向転換し、全く別の場所を指した。
「仕方ねーです、じゃああっちに運びやがりませ」
「全く、我侭なお姫さんだ」
「誰が姫だってんですか」
「突っ込むのそっちかよ」
 噛み合わない会話はそのまま流れ、スカイアはソフィアを指定された位置まで運んで行く。
 彼が彼女を木の枝に座らせると、彼女は遠い空を見据えたまま両足をぶらつかせた。
「何が見えるんだ?」
「普段見えねーもんです」
 下から呼び掛ければ、振り向きもせずに解答する。何処か思い詰めたようなソフィアを見上げたまま、スカイアは朗らかに眉を下げた。
「背伸びしたってイイコトないぞ?」
「てめえみてえな長い大人に、分かったようなこと言われたくねぇです」
 軽い調子のスカイアの声に返されたのは鈍くとけとげしい不服顔。確かにむくれた横顔を確認した彼は、それでも穏やかに質問を続ける。
「ソフィアは大きくなりたいのか?」
「喧嘩売ってやがりますか?」
「まあまあ。そう怒るなって」
 言葉尻にひょいっと、ソフィアの目線と同じ高さまで登ったスカイアは、じっとりとした眼差しを受けながら臆面もなく微笑んだ。
 その余裕に負けたソフィアは横目に見据えていた彼から目をそらし、長く深い溜め息を吐き出す。
「…まあ、早いとこ大人にはなりてえですね」
「大人なぁ…。どうしてまた」
「大人になりゃあ、もっと色々分かるってもんじゃねーんですか?」
 呆れたようにそう言って、ソフィアはスカイアの解答を待った。
 しかし数秒経っても彼が回答する素振りを見せない為、意図的に反らしていた視線が徐々にスカイアの横顔に向き直る。
 ソフィアの仕草に気付いたスカイアが、ハッとして見上げていた空から顔を下ろしたのが更に数秒後。
「俺に聞いてるのか?」
「他に誰が居やがりますか」
「…そうか。ソフィアから見れば、俺は大人か」
「その歳で子供だとでも言い張る気だってんですか?」
「いやいや、悪い。そうじゃない」
 一人面白そうに笑うスカイアと、ひたすら不満そうなソフィアと。
「確かに俺は大人なんだろう。だけどな、大人になろうが俺は俺だ。子供の頃と何も変わっちゃいない」
 スカイアがそう弁明しても、ソフィアの表情が変わることはなく、彼は困ったように笑って言った。
「信じられないって目だな」
「あたりめえだってんです。何も変わらねえなんてこと、有り得ねえですよ」
 有り得ないと言うよりは、あってたまるかとでも言いたげなソフィアの雰囲気に、深く深く頷いたスカイアは空に向けて話を続ける。
「そりゃあ、お前さんのように。周りの人間は俺を大人として扱うから、自由に意思を持てる変わりに責任も生まれてくる。だから大人だって言うのなら、それは否定しないけどな。だがそれは、今のソフィアも殆んど同じなんじゃないか?」
「…あたしには保護者がいねえですから。その通りだってんです」
「それなら、ソフィアが言いたいのは内面の話だろう?」
 スカイアの確認に、ソフィアは躊躇いながらも首肯した。
「だったら簡単だ。やっぱり、無理に背伸びする必要なんてない」
 不意に明るく言い切る彼に、やはり納得いかなそうな彼女の眼差しが張り付く。
「焦る気持ちも分からなくはない。だがな、そう言うもんだ」
 笑いながら頷いて、スカイアはソフィアの頭を撫でた。
 不平不満を垂れ流したくとも言葉が出てこなくなってしまったソフィアは、頭から離れたスカイアの手を自然と視線だけで追いかける。
「ほら見てみろ。綺麗な夕焼けだ」
 彼の手は、二人の正面に広がる空を示していた。
 先程まで白と水色のグラデーションだったそれは、今やすっかりオレンジと黄色に変色してしまっている。
 これから更に色が変わるのだと。ソフィアが空を意識し始めるのを予測していたように、スカイアは静かに問い掛けた。
「この夕焼けが見られるのは、日に一度だけだろう?」
「あたりめえな事ぬかすなってんです」
「そう。当たり前だ。お前が俺を大人として見るのは、俺がお前より沢山の夕焼けを見てきたからだ」
 当たり前のこと。ソフィアは再び繰り返しかけた反論をなんとなしに引っ込める。
「ただそれだけの事なんだよ。だからって、焦っても多くの夕焼けが見られる訳じゃない」
 彼女が彼の言葉を無意識に吸収する間にも、彼はゆっくりと、独り言のように口を動かした。
「生きた分だけ、経験したことを取り込む事は出来るけどな。やっぱり俺は俺で、子供でも大人でも関係ない」
 最後にそう締め括り、スカイアはまたソフィアの頭に手を乗せる。ソフィアはそれを両手で上に押し退けながらつんと口を尖らせた。
「だけど、あたしは、てめえの目には子供に映ってるんじゃねえですか?」
「それは立場の問題だ。ソフィアはいつまで経ってもソフィアだろう」
 刻々と変わり行く光の中にソフィアの唸り声が短く響く。相変わらずふてくされを顔面に張り付かせる彼女は、彼女にしては低い声で呟いた。
「はぐらかされてねえですか?」
「そんなことはない。だいたい歳なんて取るもんじゃないぞ?医者なんだから分かってるだろうに」
「そう言う話じゃねえです」
「そう言う話だって」
 誤魔化すようでもなく、ふっと微笑むスカイアの横顔が夕焼けに染まる。
 この夕焼けがいつも以上に赤く、強い光を放っていたように思えるのは、隣に真っ黒なスカイアが居るからだろうか。
 ソフィアは不意に過った思考を溜め息で吹き飛ばし、夕暮れの空の色を頭の中に焼き付けた。














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製作:ぁさぎ
HP:ねこの缶づめ