GDGD企画「物書きさんに30のお題」



[21] 霖雨







  しとしとと。
 降り続く雨の勢いは一定に、遠くも近くも関係なく目の前の景色を霞ませる。
 ただただ小さな水滴が一斉に降ってきているだけだと言うのに、こんなにも視界に、気分に、果ては行動にまで変化が現れるものだろうかと。
 宿屋の窓を開けて外を眺めながら、ソフィアは一人アンニュイなため息を吐き出した。
 昼間なのに目に映るもの全てがグレートーンで、夜の妖しさも無ければこれと言った音もしない。
 あるのはひたすらに、雨粒が地面や草木、民家の屋根に叩き付けられる音だけだ。
 人によってはその趣を好むのだろうが、今のソフィアにはそれが分からなかった。…いや、分かりたくなかった。
 普段の彼女なら、もしかしたら雨粒の大きさや落ちた物体による音の違いに耳を傾けて感慨に浸ったりすることもあるかもしれない。
 しかしどうしても、今だけは。頑張ろうが頑張るまいが、そう言うことにはならないのが現状なのだ。
 この雨が、嫌な訳ではない。ただ、雨から思い起こされる記憶が、思い出が、ソフィアの心を揺さぶって止まないのである。

 この街に辿り着くなり雨に見舞われて、もう何日になるだろうか。
 珍しくも風邪を引いたリューの療養の為、暫くの間宿に留まることになった一行のうち殆どは、資金稼ぎのクエストに出てしまっている。
 ソフィアは職業柄、留守番がてら看病に徹している訳なのだが、こう毎日雨に打たれる宿の二階に缶詰になっていては、気が滅入ってしまうのも確かなのだ。
 ついでにこの雨の、静かで単調な降り方があまりにも…
「あの時にそっくりだってんです」
 そう呟いた彼女は自らの腕に顔を埋めて頭を振り乱す。

「あの時」も。
 こうして霖雨が降っていた。

 強いわけでもなく、ただ霧のようにしとしとと、何日もの間辺りを包む雨。
 何時止むとも知れぬので、いっそ早く抜けてしまおうと。立ち寄った街での買い出し中、急ぎ足に道を行くリューがひたと足を止める。
「大丈夫?ソフィア」
 半歩後ろを歩く自分を振り向いて、当然のように問い掛けてくる彼に、彼女はたじろぎ気味に足を引いた。
「な…何がだってんです?」
「顔の赤みが三割増しだよ?足取りも覚束ないし、風邪でも引いたんじゃないかなって」
 表情のない顔面から吐き出された答えはすらすらと、咎める風でもなく、困った風でもなく。どちらかと言えば心配そうに響いてきた。
 しかしソフィアは包帯や薬草が入った紙袋を抱え直し、ふいっと顔を横に向ける。
「てやんでいばーろーめ!医者のあたしが風邪引いたなんて、そんなことあるわけねぇです」
「ソフィア。そう言うときこそ強がらないで素直に甘えるべきだと思うな?おれは」
「何真面目腐って言いやがりますか!いつものボケはどうしたってんです。ツッコンでやりますから早くボケやがりませ…」
 言いながら歩みを進めた彼女がよろめくのを片腕で支えたリューは、今度はどちらかと言えば困ったように肩を竦めた。
「ほら、言わんこっちゃない」
 きちんと立たせてやりながら、干し肉や水の入った袋を抱え直す。そんな彼を訝しげに見据えながら、ソフィアは小さくため息を付いた。
「どうせ高利子付きの貸しだとでも言いやがるんでしょう?」
「信用ないなぁ、おれ」
 ぼんやりとした深緑の瞳が、何となく寂しそうに見えて。ソフィアはバツが悪そうに顔を俯ける。
「…そうじゃねえです。調子が狂うってんです。普通にしやがりませ」
 レインコートのフードに付いた鍔をぐいっと引っ張ると、その手がリューに掴まれた。
 彼はスタスタと道の端に寄り、馬車の停留所にソフィアを押し込む。
 時刻表を確認してみても、屋根のついた停留所の閑散とした雰囲気からしても、馬車は暫く来ないようだ。
 ソフィアはリューによりてきぱきと、荷物やコートを回収されて呆然と佇むことになる。
「此処なら雨も凌げるし。少し休憩。そのうち誰かが迎えに来てくれるよ」
 軽く肩を押され、座らされ。ソフィアはむむむと顔をしかめた。
「わざとやってやがりますか?」
 普段通りのようでいて、やはり何時もと違う彼の様子を前に。ソフィアはだるいながらもついつい疑ってかかる。
 対してリューはあっけらかんと、溜め息混じりに呟いた。
「医者だからって風邪引いちゃいけないなんて、おかしな話ないよ。それに風邪の時は嫌でも甘やかされるものだって、おれは実家でうんと学んだからね」
 隣に座り、ぽすぽすと頭を撫でられては堪らない。だからと言って言い返す為の理論を考える余裕はなかった。
「すこし眠ったら?ソフィア」
「……」
「今ならタダだよ?タダより安いものはないって、よく言うじゃない」
「リューが言うと胡散臭さ三割増しだってんです」
 最後の気力を振り絞って悪態を付く。そのまま項垂れるように頭を支え、目を閉じた。
 音になりきらない雨音が耳の中へと入ってくる。お陰様ですぐに睡魔がやって来て、ソフィアを眠りに誘った。
 頭の中がぼんやりと、浮き上がって闇に落ちる。瞼の裏の赤もまた、黒に塗り変わった。

 熱のせいか、雨のせいかは分からない。

 浅く眠るだけのつもりが、随分熟睡してしまったと気付いたのは、リューに揺り起こされてからだった。
「大丈夫?やっぱり大分熱いみたいだけど」
 問い掛けがすぐそばで響く。体が酷く傾いている割りには、寝心地がいい。
 涎を拭い、頭を上げる。目の前にリューの顔があった。
 いつの間に寄りかかってしまったのだろうか。道理でよく眠れた訳だ。
「ユーヒ、荷物お願い」
「任してください!」
 口をパクパクさせるソフィアを他所に、リューはてきぱきと指示を出す。いつの間にやらやって来たユーヒが、二人分の荷物を担いだ。
「さてと。ソフィアが真っ赤にユダる前に宿に運ばないと」
「は…」
「みんなで探して、今、クラウスさんが手続きくれてるんすよ」
 リューが淡々と。ユーヒがニコニコと。勝手に進む話に、移動に付いて行けず、ポカンと口を開ける。
「そんな、この街は抜けるだけって…」
「そう。抜けるだけのつもりだったから、幸い日持ちする食糧しか買い込んでないんだよね。だから数日出発が遅れたところで損害はないわけ」
 解説しながら、リューはソフィアの前に屈んで背中を差し出した。
「だけどお姫さま抱っこは、損害が激しいんでしょ?」
 だから乗りなさいと、振り向いた無表情が圧力をかけてくる。ソフィアはぐっと言葉を飲み込んで、大人しくそれに従った。

 これ以上ごねたら更に迷惑がかかる。
 それに寒気が強くなってきた。これからまだ熱が上がるのだろう。
 体力を温存して、買ってきた薬草を調合しないといけない。
 風邪は引きはじめが肝心だと良く言うじゃないか。
 だから今は、大人しくしていないと。

 雨音に混じって頭の中に響くのは、可愛くない言い訳ばかり。
 この雨と同じ様に、こんな言い訳染みた考えが長々と続くのだと思うだけで、具合が悪くなりそうだ。
 それなら素直に甘えてしまえば良いものを、気恥ずかしさからか、どうしても上手く出来そうにない。

 ぐるぐると似通った声ばかりが体の中を行き来する。
 その感覚が、その時の感情が、しとしととした雨音に染み付いてしまったらしい。

「ぁゞゞっ!てやんでい畜生!思い出さないようにしてるってのに、どうしても思い出しちまいます!どうしてくれやがりますかぁあゞゞ!」
 静かな中に響いた癇癪は、彼女の焦燥を更に掻き立てた。振り向いて辺りを見渡しては誰もいない事を確認し、一人コホンと咳払いをする。
 そうして元のように窓枠にもたれ掛かったソフィアは、深く長いため息を付いた。
 あの時の借りを返すチャンスでもある筈の現在。しかしその考えに行き着くなりこうしてもやもやと頭を掻き毟り続けて早小一時間。
 生家で甘える事を学んだと、リューはあの時確かに言った。それならば、この雨が掻き立てるようなもどかしさを、リューはもう覚えていないだろうか?それとも初めから甘えることが出来るタイプだったり…いや、あの仕事の虫が大人しく寝ているばかりな事あるものか。今だってきっと、自分が居ないのを良いことに帳簿でも付けてるに決まってる。
 そう決め付けて、不意にすくっと立ち上がったソフィアは、ずかずかとリューが眠る部屋へと歩を進めた。
 短く深呼吸し、扉を押す。
「ほれ見やがりませ!」だの「やれやってやがります!」だの言いかけた言葉が、吸い込んだ息と共に肺の中に収納された。
 3つあるうちの一番奥側、窓の側に置かれたベットの上で、リューがすやすやと眠っている。開きっぱなしの帳簿や、半端に動かされた算盤が側に出ている訳でもなく。寧ろ先程タオルを変えに来た時と何も変わっていない。
「………」
 もやもやを発散し損ねたソフィアは、もやもやを内に止めたままベットに近付いて行く。普段のリューならば、ここで驚かしに来ることも考えられるから、まだ気を抜けない。
 抜き足差し足忍び足。足音を立てずに、息を殺して、不意打ちに驚くまいと歯を食い縛る。
 しかし実際は何も起こらなかった。
 それはそうだ。まだかなり熱があるのだから、そんな悪戯を仕掛けるほどの元気はないだろう。
 ソフィアはホッと息を付いて、隣に置きっぱなしの椅子に腰掛けた。
 顔を覗き込むと、何時もより更に気の抜けた無表情が静かに眠っているのが見える。
 雨の音に混じって、リューの呼吸音が規則正しく響いていた。
 ソフィアはそれを聞きながら、開かないリューの瞼を見据えながら、ふっと顔を綻ばせる。
「だから今は、大人しくしてねえと…」
 雨の中に紛れ込ませた呟きが、声にならないリューの言葉と重なったように感じた。
 ソフィアはリューの手に握られた万年筆をそっと取り上げる。使い込まれたそれは想像以上に重かった。
 顔を上げると窓に映る灰色が目に刺さる。
 雨はまだ止みそうにない。
 もう暫く付き合ってやりますか。ソフィアは口の中で呟いて、静かに袖を捲った。

















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製作:ぁさぎ
HP:ねこの缶づめ