GDGD企画「物書きさんに30のお題」



[14] 曲がり角







 積み上げられた煉瓦の壁は左右に高く聳え。足元に敷き詰められた煉瓦はモザイクのようで目印にならず。
「…此処は何処でしょうか?」
 細長い通路で狭い空を見上げたクロバは、両手で抱える槍を固く握りしめた。

 古い煉瓦作りの建物が無造作に建ち並ぶその街で、自由時間を利用して古本屋を探し歩いていたはいいが。
 いつの間に袋小路に迷い混んだのだろう。通りの何処を見渡しても似たような景色で、おまけに人の気配が感じられない場所まで来てしまったようだ。
 元来た道に戻ろうと曲がり角を曲がって曲がって、それでも大通りに出ることはなく。途方にくれて立ち止まり、呟いてみても答えが返ってくることはない。
 目の前に続く道は細く、数メートル先で行き止まりとなっていた。
 空は狭く、雲一つ浮かばぬ青が色褪せる気配はないように見える。
 もうどれくらいさまよっているのだろうか。
 時間を計ろうと腕を見るが、故障したのか時計は作動しておらず、周囲にも頼りになりそうものは何もない。
 それも十分問題だが、彼女の中での一番の問題は「人に会えない」と言う事実だった。
 道を聞けないのも勿論困るが、街中で「人に会えない」事そのものが不安を掻き立てるのである。
 クロバは唸り混じりに見上げていた顔を正面に直した。道には幾つもの脇道が延びているようだったが、彼女の立つ位置からは曲がり角の先が見えない。
 迷ったらそこを動かない…と言うのも一つの手だが、周囲に人や動物の気配がないこの状況では如何なものか。だからと言って当てが有るわけでもないので、出来ることと言えば闇雲に歩くぐらいしかない。
 クロバはなんとか気持ちを立て直し、深く長い息を吐いた。そうして正面に直れば、先程よりもハッキリと道が見えるように思う。
 彼女は自身の勘を信じて、二つ先…左手にある小路に足を踏み入れた。
 しかしその先にあるのもまた、代わり映えない煉瓦通り。振り向いて反対側の小路を覗いても、特別な変化はない。
 思わずため息が出た。
 しかしそうしていても状況が改善されないことを、彼女は良く理解している。
 考察を諦めて一歩足を踏み出すと、不意に前方が揺らいで見えた。
「お嬢さん」
 続く声を聞いて、揺らぎの正体が人の動く姿だったと気付いたクロバは、目を見開いて立ち止まる。
 嗄れ声に、杖を付き、丸形の鍔付き帽子を被ったスーツ姿の老人は、小路の脇に伸びた小さな階段の中程から、続く言葉を彼女に与えた。
「本をお探しかな?」
 心なしか嬉しそうなその声に、若干申し訳なくなりつつも不安を拭いきれず、クロバは別の質問を返す。
「あの、私…道をお尋ねしたいのですが…」
「道?それは違うな。貴女は本を探していた筈だよ」
 強い否定が彼女の言葉を遮った。
 先の優しげな声の主が出したとは思えぬ威圧感に、言い知れぬ恐怖を覚えたクロバは一歩後退りをする。
「どちらへ?」
 帽子の下の鋭い眼差しが彼女の動きを指摘した。
「大丈夫。逃げられはしないよ」
 背を向けて元来た道を探すクロバの耳に、老人の声がまとわりつく。走りながらチラリと確認した彼の瞳は見えなかったが、彼女は確かに。
「貴女は本を、探しているのだから」
 そう、ハッキリと聞き付けた。

 また、幾つもの曲がり角が過ぎて行く。視界に映り込む沢山の煉瓦を、それが造り為す模様を無意識に追いかけながら、クロバは思案した。

 そもそも何故逃げたりしたのでしょう。
 あの方が仰る通り、確かに私は本を探していた筈なのです。
 本を…いえ、古本屋を。
 店そのものを探していたのですから、「本を探していた」となると少々ニュアンスが違う気はします。
 しかし…それよりも、何かがおかしいのです。
 ずっとずっと、違和感が付きまとうのです。
 あの方から感じた圧力よりも、言葉のニュアンスよりも強烈な、違和感が…。

 しかしそれが何だったのか、思い出すことは出来ない。
 彼女がそう結論付けた所で、不意に視界に変化が現れた。
 暖色系の煉瓦が連なる中に、空と同じ色が踊る。見間違いかと思い目を凝らせば、その正体が明らかになった。
 狭い道の中央でパタパタ走り、次にクロバの正面で立ち塞がるように止まったのは、明るい空色に金の文字で「道標」と書かれた分厚い本である。
 何故本が動くのだろうかと言う事よりも先に、どうして本がこの場に訪れたのだろうと考えたクロバの思考は、再び本が動いた事により中断された。
「チャーリーさん!?」
 思わず出た声が思いの外大きく、驚いた彼女が口を塞ぐ間にも、チャーリーはトテスタと駆けていく。
「あ…待ってください…!」
 折角会えたのにはぐれては堪らない。クロバは急いで小さな影を追い掛けた。
 チャーリーは両手で本を掲げたまま、迷うことなく曲がり角を曲がる。その度に目が回りそうになりながら、クロバは必死で後に付いて行った。
 と。
 十ヶ所程の交差点を経た辺りで、チャーリーの姿がぐにゃりと歪む。見飽きた煉瓦の風景が溶けて、沼のようにチャーリーと本を吸い込んでしまった。
 クロバも迷わずそれを追う。
 目を閉じて飛び込むと、不思議な感覚に包まれた。
 ぐるぐる回って、何処かに落とされたような。いや、実際にドサリと音がしたかもしれない。
「だ…大丈夫?クロバさん…」
 聞き慣れない…しかし、良く知った声が聞こえた。懐かしくて懐かしくて、回る目を無理矢理開くと視界一杯に彼の顔が広がる。
「ヒースさん…」
 呟いて、周囲を確認したクロバは、
 ヒースと一緒に古本屋に「来た」ことを思い出した。
 狭苦しい室内に、誇り臭い本が山と積まれたその場所は正しく古本屋で。店の奥のカウンターでは、女店主も心配そうに彼女を見据えている。
 十数秒かけて戻ってきた視線を受けて、ヒースは瞳を泳がせながらわたわたと説明した。
「あの…び、ビックリした…その、ごめんね?俺なんかがビックリしたりして…でも、あの…急に本に吸い込まれちゃうから…」
「つまり私は、本の中に居たのですか?」
 傍らに落ちていた本を取り、確かにこれを手に取ったと思い出したクロバは、脇から顔を出したチャーリーを抱える。
「たまたまなんだけど…これ…セーブダガー。持ってて良かったよ…」
 独り言のようにそう言って、ヒースはセーブダガーを持った手を差し出した。
 魔力を増幅させた彼が、チャーリーを操る糸を最大まで伸ばして自分を探してくれたのだと。理解したクロバはチャーリーを抱き締めて笑顔を浮かべる。
「助かりました。ありがとうございます」
 真っ直ぐな感謝を受けたヒースも、彼女につられて表情を緩めた。
 本の中をさまよった時の事と、本に映し出された風景にチャーリーを歩かせていた時の事とを、それぞれが語り終えた所に女店主の声が割り込む。
「曲がり角を曲がった先で」
 二人が振り向くのを確認した後、彼女は二人の間に置かれた本を指し示した。
「その先が、書いてないんだよ。その本は」
 クロバが吸い込まれたそれは、何の変鉄もない茶色の装丁が成された厚い本である。ヒースが恐る恐るページを捲れば、店主の言う通り…例の行で文章が途切れていた。
「何で半端なままなのか…その理由は分からないのさ。でもきっと、本が続きを欲しがったんだねぇ」
 カウンターに肩肘を付き、苦笑とも微笑とも取れぬ笑みを浮かべる。そんな店主の見解を聞き、クロバとヒースは自然と顔を見合わせた。
「わたしは普通に読めたぐらいだ。きっとそいつは、あんたの本好きを見抜いたんだろうよ」
 言い終えると共に縫い物に意識を戻してしまった店主を他所に、彼女を凝視していたクロバが慎ましく鼻息を荒くする。
「私、決めました」
 高揚してピンク色になった彼女頬が、一人ポカンとするヒースにずいっと近寄った。
「もう決めてしまいましたから♪止めても無駄ですよ?」
「え…な、何を…?」
 迫り来る笑顔に驚いて身を引きながらも、疑問符を飛ばした彼を置いて。クロバは茶表紙の本を店主の元に持っていく。
 無言の意思を受け取った店主が指先で示しただけの代金を払い、彼女は深々と頭を下げた。

 ヒースはその背中を眺めながら、密かに想像する。
 クロバは、あの本にどんな続きを書き足すのだろうかと。
 先の体験を思い出し、心配する傍ら。期待に膨らむ気持ちを抑えきれず、淡く笑みを浮かべながら。













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製作:ぁさぎ
HP:ねこの缶づめ