GDGD企画



小さな嘘



 優しい陽気に心和む昼下がり。色合いが変わり始めた光を背に受けながら、クラウスが小さく肩を竦める。
「さて、どうしようか?」
 微かに開いた窓から風が迷いこみ、抜け道を見付けられずに同じ場所から出ていった。
 問われたソフィアは一纏めにした複数の荷物から顔を上げ、通りすがりの風を惜しむように額を拭う。
「やきもきしてても仕方ねぇですし、茶でもしばきますか」
 クラウスの足下に置かれたままのリューとスカイア、そして彼自身の荷物が、所在悪そうに音を立てた。

 二人大量の荷物を抱えて宿の一室に辿り着いたのがつい先程のこと。町に付くや否や急なクエストに巻き込まれ、仲間4人に荷物を押し付けられたのが数十分前のこと。早い話が、仕事内容からしてどうにもこうにも足手まといになるであろう二人は仕方なく、指定された宿で待つことにした、というのが事の流れである。
 そんなこんなで宿屋の一室で一息付いたクラウスは、抱えてきた荷物もそのままに窓際へ向かい、半開きだったカーテンを閉める片手間ソフィアに声をかけたのだった。
「お茶か。いいね、君が淹れてくれるのかい?」
「あたしは飲むのが好きなだけで、淹れるのは得意じゃねーんです」
「それなら、僕が入れようか」
「待ちやがりませ。うっかりカップでも割られたら、あたしまでリューにどやされるじゃねーですか」
「彼はどやしたりしないだろう。淡々と怒るだけで」
「同じことだってんです!」
「あはは。まあ、冗談はここまでにして。本当はもう宿の主人に頼んであるんだ。取ってくるよ」
 そう言って帽子をかぶり直したクラウスが足を進めると、ソフィアは口を尖らせたまま部屋の鍵を差し出す。
「それならそうと早く言いやがりませ。あたしは茶請けの調達に行くってんで、リクエストがあるんでしたら今のうちだったんです」
 広げられた掌から鍵を拾い上げたクラウスは、彼女の手が引っ込まないうちにその中に紙幣を落とした。
「そうだね。じゃあ、ケーキなんかを」
「合点です。茶が冷めねーうちにちゃちゃーっと行ってくるです」
 長い髪を翻し、年相応の反応で去っていくソフィアの背を見送って、クラウスもフロントに向かう。

 町外れにある浅く狭い谷にかけられた橋の上で、先程馬車の転倒事故が起きたそうだ。幸い怪我人も犠牲者も居なかったものの、積み荷である大量の大鶏が出口のない谷を駆け回っており、町のギルド総出で捕獲作業をする羽目になったらしい。
 普通の鶏であればクラウスやソフィアでも手伝えただろうが、大鶏となっては話が違ってくる。
 大鶏とはその名の通り、主に食用に飼育される大型の鶏で、普通の鶏よりも肉質が良く、高値で取り引きされている。特にその卵は美味とされ、数も希少な事から、その手の界隈では高級品の一部と認識されているそうだ。
 パーティー内で最も小柄なソフィアと同じくらいの背丈を持つ暴れ鶏を、特殊な道具もなく無傷で捕獲するのはかなりの体力戦になることだろう。しかし、身の軽いリューやユーヒ、更には普段からナガモノの扱いに慣れているクロバとスカイアが網を振るえば、片が付くのも時間の問題の筈だ。
 クラウスはそんなことを考えながら、茶葉の沈むティーポットを見据える。フロントでティーセットを一式受け取り、椅子に身を預けてからはや数十分。飲み頃を計るため、傍らに置かれた砂時計も既に動きを止めていた。
 ソフィアが出掛けたのは、宿に入る前に確認したものが見間違いでなければ、隣の建物にある洋菓子店だろう。それにしては少し遅いような気もする。
 そう思い立ち、クラウスが椅子から腰を上げかけた時、部屋の入り口が開かれた。
「クラウス」
「お帰りソフィア君…何か、あったみたいだね」
 扉を支えるソフィアの引きつった顔と、その陰に隠れる人影を見たクラウスは、上げかけて停止した腰をそのまま持ち上げる。
「泣き付かれまして、どーしようもねえんで連れてきたんです」
「君たち、旅のヒトでしょ?お願いっ!ボクも連れてって?」
 ソフィアのため息と同時、部屋に飛び込むようにして発言したのは、ユーヒよりも年下であろう小柄な少年だった。潤んだどんぐり瞳で見上げられ、困ったクラウスはソフィアに目配せを送る。無言で首を振った彼女も、どうやらこの気迫にやられたらしい。
 クラウスは腰を折って少年に目線を合わせると、サングラスを外して笑顔を強めた。
「何があったか知らないが、僕達には他にも…」
「仲間がいるんだろ?わかってるよ、さっき広場で見たから」
「それならば話は早い。僕ら二人で決められる問題じゃあないことは、分かって貰えるね?」
「…みんなが良いって言えば良いの?」
「それはもちろん。それから、君の親御さんもね」
 むくれる少年の頭に乗せようとしたクラウスの手が、その瞬間払われる。
「かーちゃんなんて知るか!」
 突然の激昂に目を丸くする二人。当人は唇を噛み締めたまま俯いてしまった。
「お母さんと喧嘩でもしたのかい?」
「喧嘩なんかじゃないよ。ただ…」
 クラウスの優しい問いかけに思わずか細い声を出した少年は、ハッとして笑顔を上げる。
「そんなことどーでも良いだろ?仲間に入れてくれよ」
「良くはないよ。黙って君を連れていくようなことをしたら、君のお母さんが心配するからね」
「するわけないやい!」
「そんなことはないよ」
「しないったらしないんだ!それに、この子だって仲間なんだろ?子供だから駄目なんて言わせないよ!」
 興奮した少年がピシッと指差したのは、隣に佇むソフィアだった。クラウスは彼女の眉が微かに歪むのに気付きながら、表情を変えることなく口を開いた。
「彼女は…」
「てやんでい、べらぼうめ。あたしはもう子供じゃねーです」
 クラウスの言葉を遮って静かに反論したソフィアを振り向き、少年はキッと睨みをきかせる。
「嘘つけ。僕と同じくらいだろ?」
「…例えそうだとしても、あたしには父親が付いてんです」
 そう言って、ソフィアが引っ張ったのは呆然とするクラウスの腕だ。
 少年もクラウスも目を丸くしてソフィアを見据える。
「え?お父さん…?」
「そーだってんです」
「じゃあ、もう一人の子は?男の子も一緒に居たでしょ?」
「あれは弟です」
「ふーん…お兄ちゃんじゃないんだ…?」
 当たり前のように頷きを繰り返していたソフィアは、最後に放たれた少年の呟きに口元を引きつらせた。
「さあ、分かったろう?兎に角一度、家に帰ってご覧?きっと心配している筈だ」
 咄嗟に口を挟んだクラウスを振り向いて、恨めしそうに口を尖らせた少年は諦め悪く問いかける。
「心配してなかったら、考えてくれる?」
「そうだね。してなかったら」
 クラウスがすかさず返した自信に満ち溢れた笑顔に負けて、少年は渋々部屋を出ていった。
 扉の閉まる音の後、二人のため息が重なる。
「…そんなに老けて見えるかな?」
「仕方ねぇじゃねーですか。咄嗟の小嘘だってんです。忘れやがりませ」
 苦笑混じりのクラウスをジト目で一蹴し、ソフィアはテーブルに歩み寄った。クラウスは一人肩を竦め、その背中を追いかける。
「それにしても。良く耐えたね、ソフィア君」
「うめえ茶を楽しむ為だってんです」
 膨れっ面で紅茶の温度を確かめる彼女を見て、クラウスは密かに笑みを強めた。そんな彼を振り向いて、ソフィアは頬を緩ませる。
「奮発しちまいました」
 後ろ手に持っていた大きめの箱。中から出てきたホールケーキに、クラウスの眉が下がった。
「これは手強そうだ」
「心配いらねーです。どーせ、腹空かして帰って来やがるんですから」
 言いながら椅子に座ったソフィアは、あらかじめ6つに切り分けられたケーキのワンピースを手でつかみ上げる。頬張った拍子に口の回りに付いたクリームを左手で拭う彼女を横目に、クラウスは微笑んだ。
「兄に弟、それから、お姉さんもね」
 呟くクラウスの手元で、色濃い琥珀色が白いティーカップに落ちる。
 漂う香りに誘われたように、賑やかな声が仲間の帰還を知らせていた。






製作:ぁさぎ
HP:ねこの缶づめ